自殺と天国

海岸の砂浜を歩いていたら、海上自衛隊の人が水上バイクから砂浜に乗り上げてきて、「110番してください」と大きな声を出している。
事故?と思ったら、あっという間に救助された人が砂浜に引き上げられて、心臓マッサージを受けている。

頭髪の感じからすると、60代後半ぐらいの男性、上半身は茶色のチェックシャツが肌に張り付き、浮き輪がつけらているお腹は大量の水を飲んだのであろう、相当に膨れている。

一緒に歩いていた同僚が通報をしたので、しばらくその場に留まることになった。
聞けば、この少し先は自殺の名所だそうだ。
男性が飛び込むこところを誰かが目撃して救助を呼んで、その救助が上がってきたところに私たちがいたということらしい。

「きっと助からないね」「助かりたくないからあの場所から飛び込んだんだろうね」などと、ぽつりぽつりと会話をしながら、ゆっくり歩く。
「自殺しようと思ったことある?」と聞いたら、仕事のことでそう考えたことは結構ある…という答えが帰ってきて、びっくりした。
私の期待は「ないな〜」というような軽い答えだったからだと思う。

記憶が定かではないが、多分高校時代に母親と父親から同じ質問「自殺しようと思ったことある?」をそれぞれから別々に受けたことがある。
私の答えは「ないな〜」だった。
同じ時期に聞かれた質問だから、私と同世代の人の自殺がどこかであったのかもしれない。

二人とも私の答えに非常にガッカリした様子だったのを憶えている。
よくわからないが、彼らの10代の頃は、人生を悲観して命を自ら断つことを考えることが多かったのかな?と今になって推測する。
つまり、我が娘は多感で繊細な時期のはずなのに、深い悩みも体験しておらず脳天気で感受性が鈍過ぎると思ったのかもしれない。

不眠症が一番ひどい時、よくJRの階段の上でここから落ちたら、少なくとも今日は会社行かなくて良いだろうなぁと思ったものだ。(職場の問題がパワハラからストーカー行為に変わりつつある時期だった)
その時期は水に飛び込んで死ぬ夢をよく見た。
なるほど、その瞬間にはもう周囲の人間にどのぐらいショックを与えるかなんて、考えることはないんだな…、発作的に飛び込んじゃうんだな…と夢ながらひどくリアルに感じたことをよく憶えている。
あまりにうっすらとした一時的な感情だから、自殺願望と呼ぶにはこれは足りないだろう。

私が出会った男性は、発作的に飛び込んだのかもしれないが、名所から飛び降りたというところから考えれば考えぬいた挙句の結論だったのかもしれない。
キリスト教だと確か、自殺者は天国にいけないのではなかっただろうか?
審判を受けて、あなたは自殺をしたので、天国には行けませんと言われたら、その人の心はもう本当に折れてしまうだろうなぁ。

そこは「大変だったね、辛かったね、もうここに来れば大丈夫だよ」と言ってもらえる場であってほしい。
ゆっくりできる温かい場であってほしいと一瞬すれ違った人なのに感じるのは、あまりに彼が寒そうに見えたからかもしれない。

しなければならないことをしないとき、人間は、孤独を感じる。能力を十全に発揮ーー成長ーーするときにのみ、人はこの世に根をおろし、くつろぐことができる。

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