うまく消化できないことがあって、ちょっと書き留めておく。
事実をできるだけ淡々と。
1. 高速道路のサービスエリアで、若い女の子がお婆さんを結構な力強さで叩いていた。よく見ると、表情から知的障害者であることがわかる。
2. それを中年の女性が止めていたが、女の子の力が強く途方に暮れている様子で、周囲に助けてくれる人がいないかを見回していた。
3. 私はたまたま近くを通りかかったので、女の子の腕を掴んで止めた。
4. 中年の女性が、ひたすら私に謝り、「申し訳ありません。ありがとうございます。この子は知的障害者で、先ほどトイレに行ったら人にぶつかりパニックを起こしてしまったのです」とのこと。
5. 気がつくと叩かれていたお婆さんは姿を消していた。どうやらまったく無関係の人で、一方的に突然叩かれたようだ。
6. 中年女性はお母さんなのか、その女の子を連れて行こうとするのだが、その女の子は今度はお母さんを叩こうとする。そしてなぜか私にくっついて手を握って離れない。そしてなぜか私のことは叩かない。
7. 「いつもこういう時はどうされているのですか?」とお母さんらしき女性に尋ねると、「いつもは養護学校の先生がいて…、お父さんが今トイレに行っていて」という返事。
養護学校の遠足か何かで、サービスエリアにいるのかな?と想像し、「じゃぁ、車まで一緒に行きましょうか」と提案。
8. 一緒に車まで歩くことになった。女の子はひたすら私の手を握りしめているが、非常に力が強い。この力で叩かれたら、かなり痛いだろう。
歩きながら、お母さんはとても恐縮して「すいません、すいません、あなたは養護学校のオカモト先生に似ているので、多分間違えているんだと思います」とおっしゃる。
9. 遠足のバスか何かいるのかと思ったら、送っていった駐車先には普通の乗用車があり中には中年の男性が1人座っていた。お母さんが、その人に声を掛ける。どうやら、この人がお父さんらしい。
10. お父さんは突然、お母さんに怒鳴る。「なんで、そんな遠くのトイレに連れて行ったんだ。バカヤロウ」という感じである。なんとなくだが、いつもこのようなやり取りがあるようだ。
11. 女の子は、お父さんを見ると反応し、今度は突然私に殴りかかってきた。
よくわからないが、彼女が認識する自分の親しい人は、常に1名なのかもしれない。
12. 一緒にいた友人が止めてくれて、女の子をお父さんに引き渡し、私たちはそのまま車に戻った。
友人は、その家族が私に謝罪も御礼も言わないことに非常に腹を立てていた。
まぁ、私も友人の立場だったら同じように思うだろう。
ただ、私は一連のやり取りの中で思ったのだが、恐らくこのご両親はもうイッパイイッパイなのである。
だから、そんなところにまで気がまわらないのである。
コーチングでも時々イッパイイッパイになって、コーチングを受けにくる人があらわれる。
あまりに色んなところに問題があって、様々な処理能力が落ちてしまうのだ。
職業柄なのか、そういう人を見ると大体一目でわかる。
(必要不可欠なものの欠乏が処理能力を下げるという話について詳しく知りたい方は、「いつも『時間がない』あなたに 欠乏の行動経済学」という本が参考になるだろう)
そして、さらに感じたのが、両親がお二人とも精神的に少し病んでいるもしくは軽い障害があるのではないか…ということだ。
会話のキャッチボールがうまくできない、状況認識が少しずれている、そして色んなことに対して、つきまとっている諦らめ感が、とくにお母さんのほうから出ているのだ。
最初にお婆さんが叩かれている時も、お嬢さんを止めるのに彼女はそれほど必死ではなかった。
周囲を見ながら誰かが止めに入ってくれれば良いのにな…というムードだった。
だから私はてっきりお婆さんが身内の人で、お母さんは他人なのだと思っていた。
その後、私が一緒に車まで送って行く時も、同じような感じで、お嬢さんのことを謝りながらも何だか他人の話をしているようで、距離感があった。
ひょっとしてこの人も身内ではなく養護学校の先生なのかな?という印象も持ったぐらいだ。
後で思い返すと、彼女は今の状況を受け止めきれず、きっちり向かい合えない、なんとなく事故が起こらないようにやり過ごしている印象だ。
自己効力感みたいなものが多分非常に低くなってしまっているのではないかと思う。
自分には状況を変化させることなんて何もできない…という考えが長い時間を経て根深くしみつているのではないだろうか。
私が知っている乏しい知識では、日本の福祉行政というのは、自分たちから申請を起こさないと様々な保護や情報が与えられないのではないかと思う。
幸いこのお嬢さんは、養護学校に通っている様子なので、そうひどい状況ではないと思うのだが、よく考えてみると、家族全員がなんらかの障害がある…ということは、結構あるのではないかと思う。
私自身も障害者手帳を持っているのでわかるのだが、結構この申請手続きも面倒くさいし、これに付随するいくつかの申請関係も決して容易ではない。
しかも申請後に承認がおりた後も、自分で期限を確認しておかないと、継続が自動でされないので、またややこしくなり、私も何度か無駄足を病院やら保健所に運んでいる。
私の場合、発作がない限り日常生活に概ね支障はないが、それでも申請の前後に調べ物やら手配やらは結構面倒だったし、色んな情報がバラバラとあちこちに点在しているのも不便だった。
家族中が全員色んな心身障害を抱えていたら、福祉手続きだけでなく経済面その他で色んな面で大変だろう。
でも申請に行かない限り、そこには支援が存在しないのだと思う。
親戚や近所やそういう人たちが少しでも手伝ってくれる…という状況があれば、あの家族はそれほどイッパイイッパイではなかったのだろうと思う。でもみんなもイッパイイッパイなのだ。だからちょっとずつ無関心にならざる得ないのだ。
以前、取引先に体格の良い元ラガーマンの男性がいて、ふとした仕事の話の折に、その方が毎日夕方定時で仕事を上がり、息子さんの面倒をみているという話を聞いたことがある。
息子さんは知的障害者で、お父さんに似て身体が大きいこともあり、身体を動かさないとどんどん太ってしまうのだそうだが、息子さんを1人で運動させることはできない。力が強くてお母さんには相手ができない。
そんな専門施設もない…ということで、毎日夕方はお父さんが一緒に身体を動かしているそうだ。
身体を動かさないことで、肥満になる知的障害者というのはかなり多いそうで、そうなると今度は別の身体的問題を発生するし、日常のお風呂の世話や何やかやも大変になるそうだ。
「自分もいつまで息子の運動に付き合える体力があるかな…」と、彼がつぶやいていたのが印象に残っている。
この翌日から、23区の区議会議員選挙と区長選挙の選挙活動が始まった。
声高なスピーチは、「保育園を増やします」「東京オリンピックを成功させます」「女性の活躍を応援します」「老人福祉に力を入れます」「若者の雇用を増やします」というようなメッセージを繰り返している。
当たり前だが、そこに障害者福祉の話はない。
対象者は少ない、目新しくもない、つまり選挙で票を集められないのだ。そういうことだ。
(この記事に結論はない。冒頭に書いたように未消化の状態。でも、これはなんだか忘れちゃいけない気がするので書いておいた。そういうことだ)
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