仕事をしている女性の皆さん、もしくは仕事を辞めた皆さん、皆さんはどうして仕事に関してそのような選択肢を選んだのかを考えたことはありますか?
正直なところ、私自身は積極的にキャリア向上を目指してきたわけではありません。
「それなのにどうして子どもの頃から、家庭に入ることを全く考えずに仕事を続けてきたのだろう?」と私は先日ふと考えました。
これはどうも私の育った家庭環境からの影響が大きいようです。
私の育った家庭は父、母、妹そして私の4人家族で、裕福ではなかったけれども経済状況は多分悪くなくごく一般的な家庭でした。
明るい家でしたが、困ったことが一つ。
外に働きに出たいという欲求を持つ母と『女は家にいろ!』と絶対にそれを反対する父という構図でしょっちゅう夫婦喧嘩が絶えない。
「そんなに外で働きたいなんて、外で男でも作りたいのか」なんて子どもの耳にいれるなよ~、という激しい喧嘩が多く、子どもの目から見てもどちらも自分が人生の主人公というタイプのこの二人、結婚してもうまくいかないだろうと子供心にも思っていたものです。
(・・・・が、そういうのに限って、大恋愛だったらしい。確かに喧嘩は派手だが、仲のよいときはかなり意気投合!という感じだった)
働くのは駄目、離婚も駄目という父への母の最期の反撃は家出。
私たち姉妹二人は「ついにやったか・・・・」と全く動じず、しばらく父子家庭をして、これはこれで結構楽しく、その後数年して、父に再婚したい相手が出てきて話し合いがつき、母は自宅に戻り父は出て行く、という養育者の交換(?)が行われました。。
最終的な離婚に至ったのは、確か私が中学生のときでした。
母は家出をして保険にも入れず、仕事を探すにもまず住居がないからなかなか決まらない状況から、友人の支援を受けて、随分苦労し、小さくともフリー・ペーパーの会社の営業取締役なんだから随分とがんばったんだと思います。
きっと経済的な問題で、離婚に至れない人は多いのだろうなぁと当時思い、しみじみとお金がないから離婚できないというのは絶対嫌だなと、私は幼い頭で考えました。
それと同時に誰か一人の異性を一生愛し続けるなんて、それって無理がないか?と漠然と感じたというのもあります。
何しろ中学生ですから、当時は付き合う相手なんて半年ぐらいで変わってしまうのも普通だし、子ども心にずっと同じ相手って飽きないのかしら?・・・・・・なんてやっぱり思うわけですよね。
そこから「やっぱり離婚というのは、常に視野に入れておかなくちゃ!」と考えるちょっとずれた中学生となり、「常に自分と子どもの食べられる食い扶持が稼げるようになる」という信条を持つにいたったわけです。
(まぁ、その後大人になり、実際に結婚してみると愛情というのは恋愛感情だけじゃなくて、いろんな形があってそういうのを順繰り体験しながら一緒に年齢を重ねるというのはそれはそれでなかなか良いものであることがわかってきましたが…)
中学時代に抱いた信条のおかげで、自分と子どもの食い扶持を稼げる自信と実力はつけました。
キャリアアップがしたいという気持ちは当初から薄かった私ですが、「男を選べる経済力&会社を選べるビジネススキル」は手に入れておく必要があるな…というのは、かなり若い時期から認識していました。
こちらももまぁソコソコは何とかなった気がします。
次は世界のどこの国にいっても働けるスキルをつけたいなぁ・・・・等と実は壮大なことを考えています。
追伸:ちなみに両親の離婚にまったくショックを受けなかった私には、離婚=「子どもがかわいそう」という視点が大きく欠落しています。
追記:
上記は、「追伸」まで含めて2006年に書いた記事です。
2015年現在、母は当時勤めていた会社を定年退職し、70歳目前の今はNPOの理事長をやり、毎日私よりずっと長い時間外にいます。
「次は世界のどこの国にいっても働けるスキルをつけたいなぁ」と書いていますが、ビジネススキル云々よりも、当時は夫に料理を全部依存していたのが、今は自分でそれなりに食べられるものを作れるようになったので、まぁ他所の国でもなんとかなるか…と思えるようになりました。
それから、一時期仕事を思い切り減らして、さらに思い切り生活にかかるコストを縮小してみたことで、ああ、自分はお金が少なくても時間にゆとりがあれば、楽しく生活出来る人なんだなぁと気がついたため、まぁそんなに頑張って稼げる仕事を選ばなくても良いんだなぁと気づいたことも大きく、この程度なら海外でもなんとかなるかも…と思えるようになってきました。
ま、積極的に海外に住みたいというタイプではないんですが…。日本の今の政治を見ているとどこかで出ざるえない日もくるかもなぁ…と思うこともしばしばです。
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