気がつくと、友人との居酒屋での定番ネタは、仕事の愚痴、恋愛や結婚から、健康、自炊、そして介護に変わっていた。
最近はどこでも親の老後についての話が多い。(そして、ポツポツと自分たちの老後の話も出始めつつある…)
そこに明るい話題はない。お金の話、施設の話、介護認定の話、遠距離介護、兄弟間の揉め事…などなど。
明るい話題がない大きな理由は、介護をされている老親が少しも幸せそうに見えず、それが自分の未来と重なるからだと思う。
そんなわけで、何となくそういう情報を頭にインプットするのを遠ざけていたのだが、ある書評を読んで、ぜひとも読んでみたくなかったのが、「欧米に寝たきり老人はいない – 自分で決める人生最後の医療」である。
この本は内科のお医者様夫妻により書かれており、旦那様は肺の病気が専門、奥様は認知症が専門とのこと。スウェーデンの認知症専門病院や施設を見て、日本と欧米の週末医療の違いに衝撃を受けて書かれた文章。
読売新聞社の医療サイト「ヨミドクター」に連載されていたブログが元になり、読者からの寄せられた意見も多数掲載されているため、一般読者が終末医療についてどう感じているかもよくわかる作りになっている。
文章も堅苦しくなく読みやすい。
まず、タイトルにもある「寝たきり」というのは本人にとってどういうことなのか?
宇宙飛行士は宇宙ステーション内で毎日運動しています。無重力状態で長期間生活すると、手足の筋肉が細くなり、骨がもろくなるからです。しかし、それだけ意識して運動していても、宇宙から帰還した飛行士は、地上に降り立ったとき、両脇を支えられないと歩けません。彼らのようにとびっきり健康な人でもそうなのです。
寝たきり状態は、宇宙ステーションの中で生活するのと同じです。通常、1ヶ月寝たきりだと筋肉は細くなり、筋力も半分になります。骨の量も半年間で3分の2になってしまいます。これらの変化は若い人よりも高齢者のほうが大きいのです。
寝たきりの期間が長くなるにつれ、関節が曲がって固まり、伸びなくなります。いったん固まった関節を無理に動かそうとすると、強い痛みが走ります。また、自分では寝返りが打てないので、3時間置きに体の向きを変えないと、皮膚の血流が途絶え、床ずれ(褥瘡)ができます。骨ももろくなります。寝たきりの患者さんの中には、衣類を交換しようとしただけで腕の骨が折れた方がいました。また、痰が溜まっても自分で出すことができないため、窒息を避けるために気管にチューブを入れて痰を吸引します。これは、意識がない人でも、ものすごく苦しそうにします。拷問です。
なぜ、日本では延命措置を行わずに看取りをする病院が少ないのか?
これは何となく想像がつくが、やはり診療報酬の問題のようだ。点滴やら人工呼吸をつけると診療報酬が高くなるため、また在院日数が長くなると診療報酬が減るので、胃ろうを作って早めに退院させる。
退院後の施設は、人出不足ということで、胃ろうをしていないと受け入れられないというケースが多いこともあり、家族も承諾せざる得なくなる。
そもそも死が近づいてくれば人はだんだん食べなくなるという、昔なら当たり前のことを家族も医療現場も徐々に忘れてしまい、何とか栄養をとらせないと‥という考えが、意味のない栄養補給に繋がっているよう。
昭和46年生まれの私は、小学生時代にだんだん食べなくなってご自宅で亡くなったご近所のお年寄りを何人か記憶している。多分昭和50年代はまだそのような亡くなり方も普通だったのではないだろうか?
病気が治る見込みがある患者にとっては、栄養管理は重要だけれど。
あれあれ「老い」って病気なのだろうか?という素朴な疑問を自分の中に生まれてくる。
無理に食べさせるのは大変、時間もかかるし、誤嚥も起こしやすい、だから胃ろう、それがダメなら経管栄養や中心静脈栄養、そして点滴という流れが日本では一般的だそうだ。
しかし、この本の指摘では、食べるだけ飲めるだけで点滴を行わなかった患者さんは、穏やかな死に向かうという、現場の声があちこちに挙げられている。
(研究によれば、動物を脱水や飢餓状態にすると脳内麻薬であるβーエンドルフィンやケトン体が増え、これらには鎮痛・鎮静作用があるそうだ。自然な看取りも同じことが起こっているのでは?という話がこの本には出ている)
そもそもアメリカでは倫理的な問題で、終末期の高齢者には点滴を行わないというのも、発熱やむくみが生じずに苦しまずに亡くなることができるためなのかもしれない。
これを読めば、大半の人はもう治る見込みがないのであれば、胃ろう、経管栄養、中心静脈栄養、点滴は無しにしてもらって、食べたいものだけを食べて、それがいらないと思うようになったら放っておいて欲しいと思うだろうが、これがまた日本では相当難しい。
終末医療の要望「リビング・ウィル」と呼ばれる、終末期に受ける医療の要望が生かされないのが日本の現状。
それでも、これだけ読むとなにかしら用意しておこうという気になる。
アメリカには「生命維持治療のための医師指示書(POLST ポルスト)」というものが広がっており、事前に患者本人と医師が相談して、「心肺停止時の蘇生」「脈拍あるいは呼吸があるときの積極的医療」「抗生剤投与」「人口栄養」をどうするかというのを決めておくことで、医師が治療方針を迷わずに済むというメリットがあり、、本人も受けたくない治療を受けずに済むという仕組みがあるそうだ。
本の中に、この文書の例と翻訳が掲載されています。掲載されているリンクは既に消えているようですが、ネットでウロウロしていて、フォームを見つけたので、参考までに掲載。
https://www.cdph.ca.gov/programs/LnC/Documents/MDS30-ApprovedPOLSTForm.pdf
日本ではこういうのを書いてもおそらく聞き入れてもらえることは難しいし、法的効力も現時点ではないわけだがこの本を読むと、それでも書いておきたいと、私などは思ってしまうぐらいこの本で読む現状の日本の終末医療の話は恐い。
しかし、終末期医療に関する厚生労働省の調査によれば、
「あなたが意思表示できない状態になり、さらに治る見込みがなく、全身の状態が極めて悪化した場合、心臓マッサージなどの心肺蘇生をしてほしいか」という質問に、大半の人が「してほしくない」を選んではいるが、それでも15.9%の人が「してほしい」と答えるだの…というのは、やはり無視できないだろうとも思う。
どんな状態であっても生きていたい‥と思う人がいるのだ、そしてこれはこれでやはり自然な姿なのだと思う。
長くなるので、ここでは引用しないが、第6章「グループホーム「福寿荘」の最期まで食べさせる取り組み」は、自宅で看取りたい人に非常に参考になると思うので興味のある方はぜひどうぞ。
読者からのメールに以下のようなものがあった。
ドナーカードではありませんが、自分が延命措置を望むかどうかを示しておけるエンジェルカードみたいなものがあればいいですね[ある医療従事者]
私もこういうものがあるといいなぁと思う。
これの実現には相当また時間がかかるだろうから、とにかく救急車にのせられないように気をつけるしか現状はないかしら?
ま、とにかく自分もこういうことを考える世代になったということだ。
老いた自分をかなしいと感じるのも1つだけれど、今まで特に関心のなかった分野に関心を持つようになるのはそれはそれで世界の奥行きが広がって楽しいことでもある。
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