志村ふくみ 母衣への回帰 京都国立近代美術館

京都出張のついでに、行きたいな…と前から考えていた展覧会に行ってきた。
このところ、東京の展覧会は馬鹿みたいに混んでいることが多くて、げんなりさせられることもあるもしばしばだが、こちらは金曜日の午後というのにゆったりと空いていて快適だった。

東京は冬に逆戻りしたような寒さにプラスしてどんよりした雨雲だったせいか、京都について青空を背にした平安神宮の赤い鳥居はいつもよりずっと美しく感じられた。
今回訪れた京都国立近代美術館は時間の関係で行かなかったが、確か歩いて南禅寺まで行ける距離だったと思う。

美術館前志村ふくみ展

静かな環境で観るにふさわしい展覧会だった。
三部作(青湖、雪炎、鷹刈)は2015年に制作された作品らしいが、力強くその迫力に圧倒された。特に雪炎に私は惹きつけられた。

後で考えてみると、彼女の着物は友禅のようにすごい絵が施されているわけでもなく、その柄にあたるであろう部分も非常にシンプルなものばかりでメインは植物で染められた糸になるわけだが、なぜそれに迫力が出るのだろうか?

彼女のいうところの「植物の生命」がその力強さを作っているのかもしれない。

まったく柄を持たない12色の紬が一体一体並ぶエリアも圧巻される。どの色も素晴らしいが、ちょうど梅の時期と重なっていたせいか、柔らかいピンクの「薫梅」が印象的だった。こんな染の紬をまとったら、気持ちまで優しくなりそうな気がする。

同じピンク系であっても「紅の花」という作品は子どもを思わせる柔らかさでまた随分とイメージさせるものが異なってくる。

「七夕」「秋霞」はどちらも初期の頃の作品のようがだが、作品につけられた題名のせいか日本画のような何か物語のようなものを感じさせる。(あれ、ふと書いてみた思ったが、日本画には物語を感じるのだけれど、どうして西洋画にはいつも感じないのだろうか?)

「回帰」は赤と紫のきっぱりとした対比がモダンなキッパリとした印象を与える。
この作品に限らず、志村ふくみさんの「紫」には、紫そのむかしからなぜ高貴な色として扱われてきたのか…というのがよくわかる気がする。
「光の逕(みち)」は染めた糸を張ったインスタレーション。光とその糸の美しさが本当に素晴らしかったので、これから行かれる人はぜひゆっくりと観ることをお薦めしたい。

以前から見たいと思っていた源氏物語シリーズの展示もあり、本当に見応えのある展覧会だった。

図録も購入してきたが、残念ながら美術館での色の印象とはかなり異なるのと、展覧会会場には彼女の直筆の文章がいくつも飾られていたが、こちらは含まれていない様子。
やっぱり彼女の作品が好きな人はこの機会に美術館へGo!(2016年9月・世田谷美術館(東京)でも開催予定)

志村ふくみ図録

同時開催の「京都近代美術館 コレクション・ギャラリー 平成27年度 第5回コレクション展」も楽しかった。
バーバラ・モーガンによるマーサ・グラハムの「哀歌」と題された写真はとても印象的だった。

どうやら私は民藝好きらしく、そちらのコーナーが一番楽しかった。
バーナード・リーチの作品が随分とあった。棟方志功や芹沢銈介といった作品は小さい頃からよく見ているせいか、久しぶりに会うと何やらホッとする。
その他にも黒田辰秋、富本憲吉なども展示されており、同時開催についてまったく考えておらず来てみたので、なんだかとてもお得な気分になった。

ミュージアムショップには、志村ふくみの工房で染めたであろう帯締めやストールなども並んでおり、思わずクレジットカードを出そうとしてしまったが、色が微妙に柔らかすぎて私の着物のスタイルとは合わないと思いとどまった。

どうにも私はミュージアムショップのアクセサリーに非常に弱く、こちらはピアスを購入してしまう。帰りがけに素敵な食器屋さんでお茶の茶碗と茶托に一目惚れしてしまい購入。

ピアス

これ以上京都にいると散財間違いないので、危ないので慌てて新幹線に乗り、名古屋へ移動するという流れになった。

地方の美術館巡りは楽しいが、「滅多にこないから…」との言い訳で、あれこれ買ってしまいそうなのでその対策をしてから行かないと…というのが今回の教訓。
何はともあれ、春の京都も展覧会も素晴らしく、日頃のバタバタから抜け出ることのできた自分へのご褒美のような1日だった。

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