このところ低迷している。
アイデアには切れがないし、新しいものが何もない。自分の中から何かをやろうという気力がわきあがってこない。
自分の中身が「枯渇」している…と感じたまま数ヶ月が過ぎた。
40代に入ってひょっとして年をとったということなのか?
人生にはピークというのがあると誰かが言っていたけれど、それを過ぎると下がる一方だと言っていたけれど(そんなの信じたことないけど)、もしかして私は折り返し地点を過ぎて、生産性が低下する一方になっていくだけなのか?
それとも単なる低迷期?
悩むというほど具体的ではないのだけれど、あちこちの場面でそういう不安が頭をもたげてくる。
自分の過去のブログを読むと、自分の感受性がイキイキとしていた時期が思い出されるが、今、自分が書くことはさっぱり浮かばないのだ。いつからこんなことになったのか?
昨日になって突然原因に思い当たった
原因は嫌になるほど単純だった。
「ネットの情報ばかりを見ていて、きちんとした日本語の本を読んでいない」ということだった。
MediaMaker を見てみると、8月以降の読書の量と質が格段に落ちている。
この時期に私のところに会社支給のiPhoneがやってきた。大学通学のために3週間毎日倒れるぐらい電車に乗り(本当に倒れた)その移動で疲れきっていた。移動中に何も読まないという選択肢は活字中毒の私にはなくて、疲れていつでも読めるもの…とRSSリーダーに登録してある様々なブログを読みふけっていた。またはTwitterを力なく眺めていた。
そうこうしているうちに日本語を読むレベルが急激に下がってきて、ちょっと難解かな?と思うような本が読めなくなっていた。
ここから回復したのは、まったくの偶然だった。
たまたま風邪で寝込んで、全くネットから離れてしまい、その合間にこれまで読んだ家にある小説を少しずつ読み、それがリハビリになったようだ。
そうしてきちん日本語の本を読むうちに少しずつ自分の頭の中がクリアになってきた。
ブログの文章は、素人が書いているから、悪い文章である…というのではない。
そうではなくて、大体のブログの文章というのは、文字数制限がなく、校正や推敲を経ていなくて、勢いであふれでていて、紋切り型が多いというのが特徴だ。
そしてこれこそがまさにブログを読むことの面白さなのだ。
本の文章は文字数制限があり、テーマが必ず決まっており、著者の推敲を何度も重ねて、さらに編集者の校正を経て、ようやく外に出せるものとなる。
外部の制約を何度も受けての文章が出来上がってくる。
インターネットの普及で読書の時間が減ったという私のような人はきっと、すごく増えていると思う。
今回のことで痛烈に感じたが、同じ活字とは言ってもその価値は10倍ぐらい違う。編集者の目の通した文章、読むのにお金が発生するコンテンツ(例えば、一般の本とか雑誌とか)を必ず一定量は読むことを気をつけるべきだと思う。
ネットの最新情報は楽しいけれど、それはお楽しみの時間ということで、読書時間とは別カウントにすべきかもしれない。
自分を鍛える時間も忘れずにね…。
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