3時に目が覚めてしまって、このところ読み返している「左ききのエレン」をの続きをまた読む。
タイムリーに昨日、Kindleで新刊が配信された。
途中で朝ごはんを作って食べて、7時半に新刊含め読了。
今朝読んだのは、全部で4冊ぐらいかな?
「左ききのエレン」は10巻で完結したのかと思っていたら、その後に「原作版 左ききのエレン」というのがあることに気づき、完結と思った10巻の前後の話が出てきた。
キャラクターもますますす増えて、15巻あたりから、どうもよくわからなくなってきたのだけれど、今回ようやく全貌が理解できて満足。
(アントレースの関係者多すぎ…、さっぱりわからなかった登場人物はサニートライの社長だった…。)
全部読み終わってスッキリして、「いったい私は朝の3時から何をやっているのか‥トホホ…」となったところで、ふと、思った
「いったい何が『トホホ』なんだろう???」
漫画を長時間読むことは、多分一般的には「トホホ‥」なことだとされているだろう、特に大人がそれをすることは…。
でも、これが小説だとなぜ違うのだろう?
子供が漫画ばかり読むのを心配する親は多いけれど、ストーリーのある児童書をたくさん読むことを心配したり、叱ったりする親はいないだろう。
登場人物に共感したり、ストーリーに没入したり、勇気づけられたり、そして何より単純に感動することに、本も漫画もどちらが「上」ということはない。
私などは、世の中で一番難しい仕事というのは、漫画家ではないかと数年前から思っている。
何しろこの人達は、絵とストーリーの両方で魅力的なものを作らなくてはならないところがスゴイと思うのだ。
そしてその品は、全く飽きさせることなくノンストップで読ませることができるのだから。
(こういうことができる小説はなんだかんだ少ないと思う)
10年以上前だろうか、いい大人が漫画を読んでいる日本はどうしようもない‥、外国人から見ると呆れられる‥なんている話が出ていた。
まだスマホの出回る前の話だったと記憶している。
私も単行本やら丸められるタイプの漫画雑誌(例;モーニングとか?)はまだしも、少年ジャンプのようなものすごく嵩張るタイプの漫画を通勤電車でスーツを着ていた大人が読んでいたら、それはまぁ海外の人から見たらものすごく幼く見えるかもしれない‥とは思った。
そこまでして読みたくなるほど魅力的なものなのだよ、日本の漫画というのは‥と、今は思っている。
今は通勤途中にスマホで漫画を読んでいるので、こういった声は聞こえなくなった気がする。
最近の漫画は、漫画の掲載が紙媒体だけでなく、ネット媒体が飛躍的に増えたことで、また一段と面白くなっていると思う。
こぐまのケーキ屋さんのような4コマ漫画もTwitterで読めたりするし、他にもSNSで上げるならInstagramなんかも、子育てエッセイ漫画とか、ちょっとしたものがかなりたくさん読める。
北京出身、日本育ちの中国人で、ペルー留学後、ドミニカ共和国に駐在しているという異色のプロフィールをお持ちのかいしさんの漫画も、最初はInstagramがきっかけだった。
多分、私が子供の頃だと、出版社に持ち込まれるか、コンテストに参加して、編集者に認められなくては世の中に出てこなかった作品が、たくさん読めるようになった気がする。
この変化が有り難いのは、絵は確かにうまいとは言えないが‥ストーリーやキャラクターが抜群に魅力的‥という人の作品が読めるようになったことだ。
それからストーリーが万人受けしないようなもの、女性向け?男性向け?子供向け?成年向け?と区別できないものがたくさん増えてきたのも有り難い。
これもおそらくターゲットを絞って作り込んでいる紙媒体だとできなかったことなのじゃないかな?と思う。
と、ダラダラと書いてしまったけれど、私が書きたかったのは、どうしてそんなに漫画のことが好きで、素晴らしいと思っているのに、何時間も漫画を読んでしまうと、時間を無駄にしたとか、罪悪感を持ってしまったりするのかな‥ということ。
こういうのはどこかに世間の見方が染み付いてしまっているのかな?
そういうのを身に着けないようにするにはどうすればいいんだろう?とか、気がついたら身についてしまった余計なもの(この場合は漫画への偏見?)はどうやって、自分に身についてしまっている事に気づき、どうやったらそれを削ぎ落とせるのかな?なんていうことを少し考えている。
漫画以外にもいっぱいあるんだろうなぁ。自分の中に。
追伸:最近読んだ中では、こちらの「違国日記」も無茶苦茶良かった。1巻はPrimeで無料で読めます。
ちなみに完結していないのでご注意を。
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