裏のお宅には、大きなお庭(…というよりも雑木林と行っても良いのでは?という広さのもの)がある。
3週間ほど前からだろうか?ここから鶯(ウグイス)の鳴き声が聞こえるようになってきた。
鳥というのは雨の日は鳴かないようで、朝のうちに外が静かだな‥と思うと、大体雨が降っている。
いつだか読んだネットの記事に、定年後に自然の豊かなところに暮らしたいと、かなりの田舎に移住した方が近くの川の音と鳥やカエルの鳴き声がうるさくて、もう少し自然の少ない地域に再度転居されたという話を読んだことがあるが、自然の音というのは結構大きい。
音というのはどうも一度気になると耳についてしまって、気になってしょうがないので、こういうことも起こるだろうな‥と共感した
私は自然音は大丈夫、車がうるさいのも大丈夫、子供の鳴き声なども耳の近くなど極端なケースでなければ大丈夫。
上の階の住人の足音などもそうは気にならないタイプ。
だから、騒音に敏感じゃないと思っていたのだが、どうもメッセージが含まれている、何かをこちらにうったえかけようとしている音が極端にだめらしい。
例をあげると、コロナだから外に出ないでとか、選挙に行けみたいなスピーカーから流れる公報メッセージ、テレビもだめ、自分が聞いていない歌詞のある音楽がだめ(特に日本語は歌詞の内容がわかるから辛い、外国語だと意味わからないからOKということが多い)、選挙カー、駅のアナウンス、とかこういうものが苦手。
なぜか商業施設のアナウンスは完全にスルーできるのであまり気にならないみたい。
夫は、他人から迷惑をかけられるのが極端に嫌いだということが、一緒に暮らしてわかってきた。
(身内への寛容さは私よりも何倍もある)
上の階の住人の足音とか、隣人の物音、子供の泣き声、こういっったものがとても気になるようだ。
こういう音を発する人は、他人へ迷惑をかけてはいけないというのが、わかっていない人だ・・・と、とらえて、音よりもそういう人を想像で作り上げてイライラしているのではないかと私には見える。
子供が泣くのを止めるのは、親のしつけだと思っているということは、育児をやったことのない人の意見だね・・・、どうやっても泣かない時‥というのはあるんです・・・・と私が嫌味たっぷりに言うので、さすがに最近はその手のことを私の前で言うことはなくなった。
前の家は集合住宅だったので、わりとこの手の音がストレスだった様子で、こちらに来てからは音のストレスはほとんどないようだ。
このところ、久しぶりに仕事で都心に出ること何度かあり、ひどく疲れるなぁ‥と思ったのは、景色に自然が少ないからだと思っていたが、それよりも多分、あちこちにある看板がキツイのだと気がついた。
当たり前だけれど、看板というのは自分の店なり商品なりをPRするためのものだから主張が強い、つまりメッセージ性が強いからだと気がついた。
単純にビルばかりあったり、工場ばかりで自然がすくないのであれば、何もこちらに訴えかけてこないから、さほど疲れないような気がする。
意味がわかるとつらいということは、看板の文字が日本語じゃなければ問題ないのだろうな。
そういえば、海外で人の多いところにいても、看板の多いところにいてもそのせいで疲れを感じることはなかった。
どんな音や景色をノイズに感じるのか‥というのは、人によって随分ちがうんだろう。
たった今、私の横で寝ている犬のイビキはちっともノイズにはならないけれど、電車で席が近い人のイビキは同じようなボリュームでも随分と受け止め方がちがうんじゃないかな。
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