明治のこころ モースが見た庶民のくらし

展覧会行ってきました。「明治のこころ モースが見た庶民のくらし」
久しぶりの江戸東京博物館。頑張れば自宅から徒歩でも行ける場所です。

大森貝塚を発見したエドワード・モース。
東京滞在中に庶民の暮らしに関心を持ち、町中を散策しては集めたものや、彼の言葉、スケッチしたものが展示されている。

決して上手いとはいえない素朴なスケッチと日本についてのモースの短い感想がすごく良かった。日本語訳も彼の温かい眼差しがそのまま訳されていて読んでいてとても気持ち良いものだった。

大森貝塚というのは、苦労して苦労して見つけたんじゃなくて、電車で通ったら「あ、あれ貝塚だ」とあっさり見つかったらしい…というのも何だか彼の人柄を忍ばせるようで、声を出して笑ってしまった。

集めたものは、本当に庶民が日常に使っていたものが展示されているのだが、時々すごく高価であろうものが混ざっており、「あれ?」と思うことがある。なるほど海外から見るとどちらも「Japan」ということで、同じくくりなのかもしれない。
これ、全部アメリカに持って帰ったのかー…と驚くようなものも多い。家族はびっくりしただろうなー。(芸術?ガラクタ?)

私の中ですごく印象に残ったのは、以下のようなもの。

・前掛け

よく考えれば当たり前なのだが、昔は物を大切に使ったので、前掛けは明らかに木綿の着物をほどいて端の始末がしてある簡素なもの。色からすると、もしかして長襦袢だったのかも…という気もする。もちろん、紐の部分が色が違ったりすることもある。そうだよね。端布だものね。

・雑巾

これまた使い古した手ぬぐいのようなものを縫ったもので大きさは、今の雑巾と同じぐらい。でもそのままの木綿だとすぐに破けてしまうので、上から何度か雑巾全体に木綿糸で大きな並縫いみたいなものがしてある。なるほど、そうやって丈夫にするのだ。

・手あぶり火鉢(うさぎ)

これはとっても愛らしい。展覧会のWebサイトにも写真が出ているのでご興味ある方はそちらを。ポストカード買ってしまった。

・掛け花籠

祖母の家にはそういえば、掛け花籠はいくつかあった。(多分まだあると思う)
モースはそのようにあらゆる面で自然を愛する日本人をとても好んだようだ

・迷子札

小さな木片に、子供の名前、住所、親の名前が書いてある。子どもが首から下げておくものだったようだ。時代のおおらかさを感じた。
この時期に来日した欧米人は、日本の子供が常に親から愛情と注意を注がれていることに非常に感銘を受けているという文章はよく見かけるがモースもその一人だったようだ。

・虫籠

とても美しい工芸品。たしかにこれなら家の中でコオロギの歌を聞いても良いかなという気になる。

Japanese were the greatest lovers of nature and creates artists in the world.

It is a curious trait in their character to lighten the labors by some pleasant sound or rhythm.

捨てる前提で物を買って、捨てる前提の使い方で物を使う…という現在の暮らしに改めて自分の中に違和感が生まれた。なんつーか、美しくないなぁ、今の私の暮らし。

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