週の前半はお天気が良かったので、久しぶりに家族揃って長めのお散歩。逗子の桜の名所、桜山公園まで歩き、そこから葉山に回って帰ってきました。1万3000歩ぐらいの散歩。途中、今年最初の菜の花を見かけました。
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雪
週の半ばに雪が降りました。
数日前から天気予報が降る、降らない‥と、二転三転していましたが、その日は逗子にしてはそれなりの降雪量があり、駅前のタクシー待ちもかなりだったようです(そもそも普段から数台しかいませんから‥)。京急のバスも数日チェーンをして走っていたようです。
多分、昨年の冬はみぞれ程度の雪しか降らなかったので、これが逗子での最初の雪体験でした。
雪といえば、犬が喜ぶ‥というのは、我が家にはなく、雨よりマシだけれど‥という顔で散歩をしていたのは我が家の犬です。
ベランダには10cm程度の雪が積りましたが、翌日には大半の雪が溶け、我が家としては特に大変なこともなく終わりました。
川崎市岡本太郎美術館
「戦後デザイン運動の原点 デザインコミッティーの人々とその軌跡」という展覧会が観たくて、我が家から約2時間かかる川崎市岡本太郎美術館に行ってきました。
生田緑地というめちゃくちゃ広い公園内にある美術館です。
この美術館以外にも、日本の古民家を集めた日本民家園というのもあり、こちらも立ち寄りたかったのでですが、今回はあまり時間もなくて、少し園内の散歩をしたにとどめた程度。
犬や孫と遊びにくるにもとても良さそうな場所でした。
岡本太郎氏の常設展示にはあまり興味がなかったのですが、観てみたらお目当ての企画展よりも、こちらのほうがずっと面白かったという結果に。
よく考えると岡本氏の作品は、あちこちで太陽の塔などの画像を見かけますが、実はどの作品もきちんと観たことなかったようです。
私の世代だと「芸術は爆発だ‥」のCMの印象が強すぎて、よく知っている印象になっていたようです。
詳細は別途ブログ記事にしたいと思いますので、この辺で。
大学
2021年度は休学していた大学ですが、この春から復学の予定です。
休学している一年で、随分と独学で学べたことも多く、またコロナ禍でスクーリングの大半がオンラインになっていたことなどを考えると、この休学は良い判断でした。
あのままだと、ところてん方式で押し出される形で大した学びもないまま、卒業してしまっていたかも。
11月下旬から、孫の世話に取られる時間が多く、且つそもそも大学の勉強に苦手意識が強いので、なかなかルーティン化しませんでしたが、この週から娘夫婦のお店がお休みに入ったこともあり、少しずつですがルーティンに組み込むことができるようになってきました。
先日読んだ「ライティングの哲学」の影響も大きく、この本の中で執筆者の方々がいかに文章をひねり出すかの工夫をあれこれ読み、それをうまく応用するような形で進めたらなんとなく良い感じになってきました。
引っ越し決定
昨年暮れに申し込んでいた物件に引っ越すことが決まりました。
夫が実家に外観の写真を送ったところ、「サザエさんの家みたい‥」と言われたそうで、まさにそんな雰囲気の家です。
私が今仕事用に使っているmoda en casaの机は、もともとは食事用に使用していたテーブルでした。途中からコタツを購入したので、コタツで食事を使用するようになり、そこから仕事机として使用しています。
引越し先は、ダイニングが広くなりコタツを置く場所がキッチンから遠くなるため、夫婦2人ですからそう広い食事用のテーブルも必要ないだろうと判断し、またこのテーブルを食事用のテーブルに戻しましょう‥ということになりました。
となると、私の仕事用の机がなくなってしまうため、近所の葉山家具に机を見に行ってきました。今回改めて知りましたが、和風建築というのはどこもかしこも引戸で、開け放して開放的に使えるというメリットがある一方で、壁の部分は押入れとか床の間になっていて、極端に壁が少ない。
今仕事部屋にしようとしている部屋はダイニングにつながる引戸、廊下につながる引戸があり、洋室の考え方から言うと2つドアがあるようなイメージです。
この部屋では、机は壁につけることができず、部屋の中央に置くようなイメージになります。
少し前までなら、NotePCでコタツで仕事というのもありだったのですが、昨年アーロンチェアとiMacを買ってしまったので、仕事机はナシ‥という選択肢が消えました。
結論としては、葉山家具で長さ180cm、奥行き64cm前後、厚さ4.5 cm のモンキーポッドの 一枚板を選び、スチール脚を用意してそこに板を載せて仕事用テーブルにすることにしました。
元々一枚板など選ぶ予定はなく、普通に組み上がった机を考えていたのですが、サイズが合いそうなものがないのと、どうも葉山家具自体が、一枚板推しのようで、種類が豊富だったというのもあります。お店の展示では下にキャビネを置いて、机を支えるというものが多かったのですが、予算的にもかなり高くなりますし、何よりキャビネにしまったが最後、二度と見ない書類が死蔵されることが想像できるので、選択肢から外しました。
フリーアドレス(オフィスに固定席がない)で仕事をしている時間が長かったので、机の横に引き出しがあるという環境から随分と遠ざかっていることを思い出しました。。
他の家具屋も探すというのもありでしたが、とにかくこの手の買物が私には楽しいものではなく、面倒なものなので選択肢を増やすのが嫌で、その場で決めました。
ブログ
2021年12月の振り返り
とにかく孫の世話に忙殺されました‥という話です。最近は上の孫ではなく、下の孫(新生児)の世話が多く体力的にはだいぶラクです。彼が寝ている間に刺し子をしたりしています。
逗子日記 二〇二二年一月 芹乃栄 (せりのすなわちさかう)
確定申告も進めつつ、引越し業者探しでバタバタしたり、今年のテーマ「のんびり」とは、なかなかならない1日。
本
再読「私のなかの彼女」
何度目かの再読です。
自分は勝手に相手の人格やふるまいを、自分の都合の良いように受け取ってしまっていたという主人公の気づきのシーンが今回は印象的でした。
この小説、あちこちに読んでいるとひりひりする箇所があって、どうしてそこに自分がひりひりするんだろう‥と考えてみると自己洞察が深まるかも。
「ライティングの哲学」で文章を書くのは、自分の考えを外に置く、足場を置くというのがあったけれど、読書やモノを見るにも同じことが言えるかもしれません。
自分がほんとうには何を欲しがっていたのか、今、和歌にはわからなくなっている。そしてそんなことわからなくていっこうにかまわないと和歌は思うのだった。
何が欲しいのか。何なら手に入るのか。それを手に入れるためには何を手放さなければならないのか。何なら手放せるのか。
ずっと考えてきたような気がする。いや、とらわれてきた、といったほうがいいかもしれない
再読「うちの父が運転をやめません」
垣谷美雨さんの小説は、読後感が好きなものが多く、よく再読します。年老いても運転をやめることができない田舎に暮す両親が心配で、心配しているうちに自分の人生も合わせて見つめ直すことになった、男性サラリーマンが主人公の小説。
前回読んだときは、高齢者の運転や高齢者が田舎に暮すことに目が行きがちでしたが、今は自分が逗子に引っ込んだこともあって、都会と田舎の暮らしの差が気になったり、年齢が主人公と近いこともあって、働き方を考えたりとまた異なる点に惹かれました。
時間にも空間にも余裕がない。それが都会の生活だ。とはいえ、便利さは何物にも代えがたいのだが。
「わいは今までずっと将来のためと考えて、やりたいことを我慢して生きてきたんじゃ」
それはまさに、今朝起きたときにプラモデルを見て考えたことだった。
やりたいこともできずにひたすら忍耐する期間は、受験勉強に始まり定年退職で終わりを告げる。そして、残りの人生は短く、体力も気力も落ちている。そんなことは誰しもわかっているが、生きていくためには仕方がないことだ。
それどころか、定年退職後も嘱託として会社に残り、少なくとも五年は働かなくてはならないだろう。更に年金が減るという噂もあるから、その後も身体が動く限りは働き続けるかもしれない。
再読「娚の一生」 全4巻
以前読んだときには、タイトルは「女の一生」では?感じていましたが、再読してみると人生全体の話が出てくるのは確かに海江田教授の方ですた。
結局彼の一生は色んな事があったけれど幸せだったというエンド。そしてやっぱり海江田教授好きだわ〜。
初回読んだときは、ハチャメチャな印象だけ残った西園寺嬢も再読してみるとチャーミングな方でした。
「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」
まだ今年の第一週だというのに、いきなり上半期ベスト5に入る本に巡り合ってしまったかも。
先述の岡本太郎の作品が楽しめたのも、いったいこの作品を白鳥さんに伝えるには、どう説明するのがいいのだ?と考えながら観ていたからです。実際つたえようとすると、自分のボキャブラリーの少なさに頭がクラクラしてしまいました。
それから作品をよく観ているようで観ていないな‥ということにも気づきました。目の見えない白鳥さんの美術鑑賞の話もすごく興味深く、障害者を取り巻くものと自身との関係、美術とは、美術館とは何か?などいろんなポイントで心に残りました。
ちなみに私も美術が好きなんじゃなくて、美術館が好き‥というのを20代から自覚している一人です。
見えないひとと見えるひとが一緒になって作品を見ることのゴールは、作品イメージをシンクロナイズさせることではない。生きた言葉を足がかりにしながら、見えるもの、見えないもの、わかること、わからないこと、そのすべてをひっくるめて「対話」という旅路を共有することだ。
感想や解釈が同じではないからといって、相手が間違っているわけではない。むしろ違いがあるからこそ発見があり、自分の海域が豊かになる。
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