Weekly Review – week 19th, 2022

GWが終わった途端になんだかお天気が一気に悪くなったような気がします。
GW後はまたコロナの感染者が増えるのかと思いきや、ニュースなどによると、どうもそれほどではない様子です。
一方で私の知人・友人たちからは家族が感染、自分が感染などという話をちらほらと聞こえてきます。
いったい、この話題はいつまで続くのかしら…。来年の今頃には、「コロナってありましたね‥」ぐらいになっていると良いのですが。

2019年の同時期

3年前の同時期の記事を読むと、妹と母が同居し始め、娘は嫁に行き、家族で住んでいたマンション売却の話が進み始めたのを思い出しました。
マンションはきっと今のほうが随分と高値で売れたのでしょうが(有楽町線が最寄り駅の住吉駅まで延長することも本決まりになったようだし)、私にとっては、自分の住まないマンションを持ち続けるストレスのほうがきついだろうと容易に想像がつくので、後悔はありません。お金よりも機嫌が良い日が多いほうが、人生の折り返し地点を越えた私には重要。

Weekly Review – Week19

娘家族の引っ越し

週の前半に娘家族が、逗子市市内にある分譲マンションの賃貸物件に引っ越しました。広さは倍以上広くなり、海に近くなり、買い物には不便になりました。
娘たちの営むお店にも若干遠くなったかな。我が家からの距離はあまり変わらないです。

引越し当日、翌日の引越し祝いのご飯、ポチ(夫)の退院祝で娘たちのお店訪問、それから美容院に娘が行くというので孫二人のお世話ということで、この週は4回も娘に会いました。
娘が結婚して以来、こんなに会ったのは初めてかも。近くにいるからといって、そうしょっちゅう会うわけでもありません。

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逗子は都内に比べるとそもそもコンビニの数も少ないのですが、我が家から娘たちの新居まで行く間にはお店が全くなく、コンビニによるにはかなり遠回りする羽目に、遠回りするのが億劫で、食事が必要なときは、おにぎりを自分で握って持っていったり、お弁当作って持参したりしています。
都内に住んでいたときには考えられないぐらいマメになった気がします。不便になると人って自分で働いてなんとかするようになるのかもしれません。

Kindle専用端末とビジネス書

少し前の記事で書きましたが、Kindle専用端末が壊れてしまいAmazonのカスタマーサポートに連絡したところ、新品と交換となりました。

逗子日記:二〇二二年五月 蛙始鳴 (かわずはじめてなく)

ところが、またもや同じ現象で再起動を繰り返すようになってしまい、使えない状態です。
カスタマーサポートに連絡すればまた新しいものがくるのでしょうが、ちょっと未処理タスクが多くてそのままにしています。

Kindleがなくて不便なのは、お風呂で本が読めないこと。
数日間、お風呂で本が読めずイライラしていたのですが、読めないなら読めないでしょうがないと諦めて、トリートメント中は、マッサージしたり風呂場の中をちょこちょこ掃除したりしていると、これはこれで悪くないな‥と感じるようになってきました。

入浴中は主にビジネス書を読んでいたので、この時間がなくなるとビジネス書を読む時間がなくなります。頭のよく動く日中にさほど頭を使わないビジネス書を読むのはもったいないし、夕食後に読むにはもっとのんびりしたものが読みたいし‥と悩みます。
まぁ、若い頃からさんざん読んでいるので、もう読まなくてもいいような気もするんですが、ビジネスの現場にいると読んでおいてよかった‥と思うこともあるので、なかなか手放せないところです。

仕事の会食

2022年は多分、初めてだと思う仕事の会食。おそらく、2021年も随分と少なかった気がします。
同世代の経営者の方と丸の内でお寿司をいただきました。その中で、1時間のオンライン会議よりもやっぱりFace to Faceの30分のほうが様々な話が伺えてビジネスのヒントになります‥という話が出ました。

なるほど‥と思うものの、それはもしかすると私たちの世代あたりまでなのかも?と。
というのも、顧問先の若手とオンラインで話していると、公私入り混じった相談を受けたりアドバイスを求められることが多いのですが、実際オフィスでお会いしたりすると、なんとなくよそよそしく感じるケースが結構あるのです。

私自身はオンラインだと同じ時間と空間を体験したという気がしないので、オフラインのほうが一段深く関係が築けるように感じるタイプですが、それが全員が全員そうではないのでは?と思うようになりました。

若い人は電話のコミュニケーションよりもテキストメッセージのやり取りほうが好き‥というのを見ていても、世代によってコミュニケーションの手法によって本人の「素」の出し方というのは結構違うのかもしれないなぁと思いながら帰宅しました。

バラ鑑賞

逗子に越してきてから、ご近所付き合いが増えました。
以前の暮らしでも、夫はご近所の散歩仲間の方とゴルフに行ったり、飲みに行ったりしていましたが、こちらでは街が小さいので、ちょっと外に出ると顔見知りに会うことが多いのです。

この週は、よく海岸でお会いするご近所の方に自宅のバラが見頃なのでぜひ見に来てくださいと誘われて、お邪魔してきました。
バラっって名前もユニークなものが多いですし、香りも形も色もものすごく種類が多くて、色々と教えていただきながら贅沢な気分を味わってきました。

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ご近所付き合いが新参者でもできるのは、犬がいるので散歩で顔を合わせる機会があるというのがまず第一に大きいのですが、それ以外にも都内のように忙しい人が多くないというのもありそうです(きっと、忙しい人は日中市内にいないで都心でお仕事されているのでは‥)

とはいえ、私たちのように50代前半でしょっちゅう朝昼晩と散歩しているというのも、怪しまれたり、警戒されたりしないだろうか‥とも思うのですが、地元で娘たちが店をやっているので、なんとなくそのおかげで信頼されているのではないかと、想像しています。
私たち自身から、娘夫妻の店の話をすることはないのですが、こういうのもどこかから漏れてあっという間に噂が流れて、知っている方が多いようです。

今、考えると私が子供の頃の下町の団地は、ご近所付き合いがそれなりにありましたが、子供がたくさんいて、専業主婦が多かったというのもその要因なんでしょうね。
こういった空気が生じるには、子どもや犬という共通の話題や時間の余裕のある程度ある人が暮らしている‥といったものが必要なのかもしれません。

ブログ

逗子日記:二〇二二年五月 蚯蚓出(みみずいずる)

購入したままになっていた中華鍋も手入れが完了し、出番となりました。鉄鍋だと油ものの料理が美味しいということに気づきました。鍋の温度のせいなのかな。
そもそもテフロン加工って油をひかないで使えるというのが売りなことを考えると油を使った料理がイマイチというのが当たり前なのかも…。

逗子日記:二〇二二年五月 蚯蚓出(みみずいずる)

知的ヒントの見つけ方

タイトルを見るとなんだか自己啓発本や知的生産術的な本に見えますが、中身は全然異なり、著者が「文藝春秋」の巻頭随筆で書き綴った時事ネタの本。2011年からのものが収録されているので、結構古い話題が多いけれど、相変わらず全然解決されていない問題も多いし、ろくな説明もなく終わってしまったことも多いことを再認識する機会となりました。

それにしてもあの週刊文春の報道はすごかった。雑誌の歴史に残る見事なスクープ記事といってよい。グラビア三ページ、活字六ページにわたる一大スクープで、金銭受け渡しについては現場写真あり、渡された現金五十万円のナマコピー写真あり。現場でのナマナマしいやりとりの情景描写あり(やりとりの録音あり)。領収書等の書類のコピーあり。現金を受けとって思わずニンマリ笑いをしている甘利大臣の秘書の写真あり。さらに「この日、私は甘利大臣に現金五十万円を渡しました」の証言とともに、甘利氏とのツーショット写真におさまっている支援者の写真あり、これでもかこれでもかというほど各種の証拠証言が次から次に出てくる。甘利氏があそこで大臣をやめなかったら、続報に次ぐ続報が出て、事態は収拾がつかないものになっていただろう

日本は世界第三位の豊富な地熱資源を持っています(一位はアメリカ、二位はインドネシア)。日本企業の三社(富士電機、東芝、三菱重工)が世界の地熱発電の七割を制しているくらいだから技術力も充分です。地熱をすべて有効に利用できれば原発二十三基分も発電可能と試算されています。それにもかかわらず、日本は地熱の利用率が極端に低く、現在のところ、総発電量のわずか〇・三%しか利用していません。一方、日本と同じ島国のアイスランドも世界有数の火山国ですが、総発電量の二〇%以上を地熱発電によってまかなっています(二〇一〇年)。日本では地熱発電の最適地が温泉地や国立・国定公園の中にあり、法的規制が厳しいため、なかなか地熱発電所を設置できない状況にあります。実際には温泉を汲み上げる場所より地熱発電用の熱水源のほうがずっと深いため、温泉がダメになる恐れはありません。日本は法律を変えもっと積極的に地熱発電を利用すべきです。

幸田文 老いの身じたく

大学のスクーリング課題で、幸田文を取り上げることにしたことで、この人の随筆類を改めて読み直しています。取り上げるのは、作家としてでも、幸田露伴の娘としてでもなく、私自身が長いこと憧れているこの人自身の暮らし方です。
自分が年齢を重ねたことで、若い頃にはピンとこなかったことも今ならわかるようになったり、深く共感できるようになったりしていて、随筆そのものも読み応えがありますが、自身の変化に気づけるというのも興味深い点です。

晩春初夏のこんな風景は、その土地土地のどこへ行っても、特に珍しいものではない。しばらくの暇をさいて、風を若葉を見ていただければ、どなたも爽やかになってくださることだし、それが生きかたとも関連するものだと私はおもう。美しいものを多く見、いいことを多く聞き、少しでもよけいに、爽やかなところへ心を寄せるようにすることは大切だ。正直なところ私は、頼りなく浮動する心を抱えて、いのちを続けてきている、といえる。だからいつも思うのは、「いい友達を何人持つことができたかで、その人の財産はきまる」という言葉である。風はいい友達、若葉は美しい友人なのだから、私のように弱い心を抱えているものには、大きな支えてである。美しいもの沢山にささえられていれば、自身も美しく引き上げられるだろうし、朱に交われば赤くなる道理である。

原作版 左ききのエレン(26):最期の戰い・結

まさかこれで、完結ではないと思うのですが、一段落ってところかな。ところどころ忘れているので、また読み返さなくては。
魅力的なキャラが多すぎて、それぞれの出番をもっと増やしてほしいようにも思うのですが、そうなると収集つかないのでしょうね。

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