辞書の愉しみ

以前にも少しこのブログに書いたが、小指のケガでキーボードが使えない間に原稿用紙に文章を書くという習慣ができた。
そもそもスケジュール管理も手帳に手書きだし、5年連用の日記(1日数行程度しか書けないもの)も手書き、しょっちゅう書いているマインドマップも手書きだ。

とはいえ、こういったブログ記事のようなものや仕事で大量の文章を書くときはもちろんキーボードを使っていたし、小指の固定が外れた今はもちろんまたキーボードをガシガシと打っている。

ただ、以前はキーボードで書いていた朝のうちに書くモーニングページだけはそのまま原稿用紙で継続している。思っていた以上に、原稿用紙の升目をブルーブラックのインクで埋めていくという行為がしっくりきて落ち着くからだ。

キーボードで文章を書いているときは、漢字表記について考えることはほとんどない。読みがなさえ入力すればいくらでも候補は出てくる。

手書きになると、あれ?この漢字間違っていないか?ということがしばし出てくる。今朝も「医療」という言葉を書こうと思ったら、「医僚」と書いてしまい、なんか違うな‥と思って、辞書を調べて正解を見つける。
キーボードだとこの手の間違いはない。間違えるとしたら、「医療の充実が求められる」などというときに、「衣料の充実が…」などとトンデモナイ間違いになるパターンが多い。

ケガをきっかけにある程度ボリュームのある文章を手書きをするようになってから、辞書を使うというのが思いの外愉しいことに気づいた。
私が使っている辞書は、エクスワード XD-GF10000という2009年発売のものでもうだいぶ古いものだと思う。当時はまだ海外出張があったので、電子辞書を持ち歩くことがあり、何度か買い替えていた記憶がある。
日本にiPhoneが登場したのは、2008年のようだけれど当時はそこまでアプリが充実していなかったし、操作も面倒だったので電子辞書の代替機にはならなかったように思う。

その後、海外出張もなくなり、スマホアプリも充実してきたので、辞書が必要なときはネット検索やスマホの辞書アプリがメインとなり、電子辞書の出番はほとんどなかった。
紙の辞書はどこかの引っ越しだか、断捨離のタイミングで手放した記憶がある。

手書きの復活で電子辞書も復活し、これが結構便利。
読みがなのわからない言葉を付属のペンを使って手書きで検索できたり、ズーム機能があって、細かい漢字(「鬱」みたいなやつ)の部首や作りがよく見えないときは、大きく表示してくれたりする。

何よりも良いのは、その前後の同じ読みの言葉もあれこれ出てくるので、「へーっ」そんな言葉あるんだ‥と新たな発見があること。

例えば、先ほどの「医療」を探していたら、「井料」「夷陵」と、どれも「いりょう」と読むのだが、こんな言葉知らなかったわ‥というのがたくさん出てくる。もちろんキーボードで「いりょう」と入力してもこれらが候補として上がってくるのだけれど、その意味までは書かれていない。
辞書にはこれらの言葉の意味も書かれていて、ついつい読んでしまう。これが楽しい。
(単なる寄り道とも言うが…)

その他に、今朝も「覆水盆に返らず」の「ふくすい」ってこの漢字であってたかな?と調べて、この言葉はそもそも夫婦の離別の話からきていたとか…と知り、そういう話だったのかと、しかもそれは旦那さんが読書にふけってばかりいるので、妻が怒って出ていった‥というのが元になっていて、私も読書はほどほどにしないとね‥とか、今の夫婦ならスマホのゲームとか?
つらつらとどうでもいいことを考えるのが楽しい。

これは紙の辞書だったら、多分もっと楽しいのだけれど、ドハマリしそうな気がして恐ろしいので、手を出さないようにしようと自分を戒めている。
そう思いながら、最近仕事部屋にいるときは老眼鏡もかけっぱなしだから、紙の辞書もありだよなぁ‥などと考えている自分が怖い。

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  1. 2021.04.01

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