5時20分起床。
ひんやりを通り越して寒い朝。今朝の気温は10度ぐらいしかないようだ。
着物にしようかな…と思うが、午後は風速5メートルとなると、あまり着物に向かないお天気だ。
朝食は、玄米を炊いて、大根・新玉ねぎ・油揚げの味噌汁、塩鮭、人参のぬか漬け、おすそ分けいただいた炊いたふき。
夫は今日は在宅で仕事のようなので、食後にコーヒーを淹れる。届いたばかりの豆を手動のミルで挽いて、ペーパードリップでお湯を注ぐとふっくらと膨らんでくる。
コーヒーを飲むよりも、このふっくらとしてくるのを見るのが好きなのかもしれない。
おともは、エシレのサブレ。
夫が仕事で名古屋駅に立ち寄るというので、買ってきてもらったもの。これで青缶に続いて、白缶も我が家にやってきた。
白缶は開けるととても濃いバターの香りがして、その香りだけでうっとりしてカラダの力が抜けていく。
今月末は逗子海岸の花火大会。
くるみ(ミニチュア・シュナウザー6歳)が、花火の音と振動がダメで、昨年はひきつけの発作でも起こすのでは?という勢いだったので、今年は避難することにした。
(しかも、今の家は昨年の家よりも海岸に近いから、昨年以上にひどいことになりそうだ)
コーヒーを飲みながら、一緒に避難場所探し。
当日、雨になる可能性もあるが、昨年から有料席ができたためなのか、よほどの荒天でなければ雨天決行になるらしく、順延はないらしい。払い戻しを考えるとそうせざる得ないのかな。
緑内障の定期チェックで眼科へ。
待ち時間は、昨日から読んでいる「バベットの晩餐会」を読む。
少し前にAmazon Primeで映画を観て読み返したくなった。
劇場公開で観たのはいつだったのだろう?思い調べてみると1989年だったようだ。当時18歳。
一番背伸びして映画を観ていた頃だったと思う。
当時も感動した記憶があるけれど、再度観てみるとこの映画の内容をどのぐらいわかっていたんだろうと思う
当時はフランスの歴史もカトリックとプロテスタントの違いもわかっていなかったと思うのだ。(プロテスタント系の専門学校に通っていたにもかかわらず…)
それでもこの映画の持つ独特の静けさは、私が若い頃から一貫して惹かれているタイプのものだから、きっと10代の自分もそのあたりが好きだったのだろう。
「バベットの晩餐会の」著者であるイサク・ディーネセン(カレン・ブリクセン)が書いた「アフリカの日々」は、広大なアフリカの景色とその香りが漂ってくるようなこれまた素晴らしい作品。
「アフリカの〜」に比較すると「バベットの〜」はとても地味な話だけれど、だからこそ少しの合間にページを開くと、温かい家で美味しいお茶を出されたような、「ああ、もう安心」というホッとした気分になる。
ちなみに「アフリカの日々」も「愛と哀しみの果て」というタイトルで映画化されて、アカデミー作品賞を獲っているのだけれど、なぜかこちらは縁がなくてまだ観ていない。そのうち気力があるときにでも。
眼科を終えて、食材の買い出し。
直売所には、新鮮なルッコラの束と形のよい黄色のズッキーニが出ていたので、買って帰る。
スーパーでハーブを買わざる得なかった東京での暮らしに比べると、本当にこちらのハーブは安くて新鮮。農家の人もわざわざ作っているという感じでもないような。
午後からは仕事に関連するオンラインセミナーを2時間ほど受講。
私がIT業界で長年言っていた「『技術力』があれば、売れるなんていうのは幻想」という説と同じような話が出てきて、どこの業界もこういうのは同じなんだよね…と思う。
とはいえ、技術力はもちろん必須でそれがなければ始まらず、ただ技術力さえ磨けば良いというのは違いますよ‥という話。このあたりも同じだ。
終わって夫と一緒にくるみの散歩。
最近の週末は、ご近所にオープンした小さなホットドッグ屋さん(週末だけ営業)で、散歩途中の犬も一緒に、お散歩仲間の人と一緒にビールやハイボールを呑むというのが定番になりつつあって、この日も数杯お酒を飲んであれこれお話して解散。
そのまま、海まで散歩。風が強いため、雲のないきれいな空の下を歩くことができた。
晩御飯は、ルッコラとトマトのサラダ、アンチョビと人参のぬか漬けを混ぜ込んだポテトサラダ、それに豚キムチという家庭料理ならではのバラバラメニューで。
昨年同時期
このときいただいたカーネーションの花は2つ3つ小さいピンクのものが咲いた。
背が高くなるばかりで、それ以上は無理だった。
くださった方が言うには、もしかすると一番高い部分は切ってしまうと母の日のカーネーションのように脇に蕾がつくのかも…ということ。
今年もくださるというので、今年はそうしてみようかと思うがてっぺんは蕾が一番つきやすい場所でもあるので、ちょっと勇気がいる…。
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