逗子日記:二〇二四年十月鴻雁来(こうがんきたる)

さっぱり眠れず。睡眠時間はおそらく3時間満たないのでは?
その数日前までは、眠くて寝てばかりだったのでバランスが取れているのかもしれない

7月半ばに更年期症状がひどかったため、子宮がん検診と合わせて更年期の検査を受けた。その後忙しくて病院に結果を聞けにいけず、重い腰をあげてようやく先週前半に検査結果を聞きに行った。
子宮頸がん検診は問題なし。
更年期の方は数値的に更年期ですね…という話だったのだけれど、検査結果を聞きに行った頃はあれこれ忙しくしているうちに更年期症状はすっかり出なくなっていた。
検査を受けたときはホルモン充填療法を受けようと思っていだのだけれど、症状もないし、そうでなくても喘息の薬まで飲むようになり、これ以上薬も飲みたくないな…と先生と相談し、症状がなければ数値が更年期でも放っておいて良いとの話で、そのまま様子見となった。

…が、週末から、めまいと火照り、眠気がひどく、これは更年期の症状では?となり、昨夜はさっぱり眠れず、仕方なく仕事を片付け、さらにこうして日記を書いている。
こんなのが続くようなら再度婦人科に行ってこなくては…。
ご近所の人生の先輩方から、いかに更年期が大変だったかを聞くと汗がかけない体質のせいか、ホットフラッシュがないというのはだいぶラクな更年期ではあるようだ。
それにしても往復7000歩の距離って微妙に面倒。

週末寝込んで仕事も停滞している。
このブログにいたっては、逗子日記も飛び飛びにしか書いていないし、7月以降は月のまとめ記事も書けていない。
本当はこういったバタバタの時期こそ書いておかないと後で記録がなくて後悔するとわかっているのだけれど、いかんせん時間がない。
ガツガツ一週間仕事して、その後に3日ぐらい調子悪い…みたいなのを8月下旬から繰り返している気がする。

本格的にまずいのは、ついに体重が42kg台となってしまい、ここまで下がったのはおそらくシングルマザーをしていた娘の幼少期以来だ。
体脂肪が25%と見たことない数字になっているが喜べず。
一回痩せてからきちんと体重を増やすノウハウというのはどこかにないのだろうか。
鏡を見るのが嫌になるほど貧相で、鎖骨が見えるデザインの服を着るのが難しい。
早くタートルネックが着られる時期になってほしいかも。
その前に着物かな。

朝のうちに、粕床を仕込む。
酒粕は随分と酒によって(酒蔵によって?)形状が異なるようだ。魚の切り身を漬け込んでとりあえず終了。
ゆで卵をナンプラー漬けにして、ぬか床を混ぜて、食材の買い出しに出かける。
パラパラと傘をさすほどでもない雨がちらつく、相変わらず野菜のできは今ひとつ。
久しぶりに葉付き人参が廉売所に出ていて、ナス、四角豆といっしょに購入。

仕事関連の方から、近くにて書類を一式持っているのでポストに入れておきますと連絡があり、ポストを確認するとどうやら他の人あてに持ってきたものをそのままこちらに回してきた様子。
しかも封筒が開いている、使い回しのようだ。
書類としては問題ないのだけれど、当初届ける相手先の住所と名前がはっきりと書かれており、個人情報の管理はどうなっているのだろうか?と首をかしげる。
事前に連絡してくれと散々言っていたのだが、何度も直接家に押しかけようとしてきたりして、どうもこの組織が抜本的にだめなのかそれともこの営業担当者の問題なのか…。

都内のビジネスマナーではありえないようなことが時々起きる。
ネットのニュースなどで、田舎の悪質なブラック企業の話やセクハラの話など読むといくらなんでも誇張では?と思うことがあったが、実際に都内を出て田舎に暮らしそこで仕事をしようと思うと、そんなブラック企業もあり得るかも…と思うようになった。

娘から、夜はもんじゃ焼きをやるから遊びに来ないか…と連絡がきて、晩御飯は作らずに済むことになったので、Zoomの打ち合わせ準備に入る。
必要な情報のみを残して、重要な情報は目立つようにして(情報設計)、かつ対象者に見やすいものに(デザイン)。
大学で学んだことはとても役に立っているけれど、さて、それが上手になったかというとまた別の問題。
人間関係と同じようにデザインというのも、あちらを立てればこちらが立たず…みたいなことが起こりがちだ。

打ち合わせで色々と相談にのってもらって、なんとか形になる。

疲れたので少し読書。
図書館から回ってきた島田潤一郎氏の「長い読書」
島田氏の本で且つみすず書房とくれば間違いなく買ってしまう本なのに、最近はこうした本でも一度図書館を通して下読みをしてからではないと本を買う気になれないことが増えてきた。

うっすらと鉛筆で丸がつけられている箇所があり、なんだろう?と思ったら、「記憶」という漢字が「記億」になっていた。
読みながら、校正した方がいるようで笑みを誘われた。
図書館の本は、都内で借りていたときは本の耳を折ったり(ドッグイヤー)、線が引いてあったりと、図書館マナーが悪い人が一定数いたようだけれど、こちらではめったにそういう本にあたらない。
ある種の閉鎖性というのは、良い部分も悪い部分も併せ持つということなのかも。

気温がぐんぐん下がってきて、冷たい雨の降るなかをしばらく借りていたホットプレートを持って、娘宅へ行きもんじゃ焼きをご馳走になる。
長いこと下町暮らしだったので、もんじゃ焼きは身近な食べ物だったけれど、こちらに来てからはさっぱり縁がなくなってしまったので、随分と久しぶり。
ベビースターが入って、真っ黄色の沢庵が入っている正しいジャンク感のあるもんじゃは美味しかった。もんじゃはこういうのが入っていないとね。

先週土曜日に予定されていた上孫の運動会が雨で延期になり、延期後の日程は予定があって見学に行けそうにない。
家の中では見られない外の顔も見てみたかったのでちょっと残念。幼稚園に行くようになってから、びっくりするスピード成長している。

下の孫は、たくさん話しかけてくれるのだが、いつも最初の数分は何を言っているのかよくわからない。10分ぐらい経つとなぜか何が言いたいのか少しずつわかってくる。
ラジオの周波数が合うのに似ている。

アメリカの出張に行くと、ホテルについて最初にするのはテレビをつけて英語を流しっぱなしにすることだった。
そうするとなんとなく英語のリズムがカラダに入ってきて、ヒアリングが随分と楽になり、肩から力が抜けることに気づいたのはいつ頃からだったろう。
下の孫のおしゃべりを聞いていて開いた記憶。

過去の同時期

逗子日記:二〇二三年十月鴻雁来(こうがんきたる)

このときのハンコ制作から一気に卒業制作のデザインの方向性が決まっていったのが懐かしい。
これがなかったら、どういう卒業制作になったのかちょっと自分でも想像がつかない。

そしてインプラントはようやく先月完了。
結局ほぼ丸2年かかったのね。
こういうのみんな忘れちゃうからやっぱり記録って必要なんだよなぁ…。

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  1. 花蘇芳

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