逗子日記:二〇二四年十月 霎時施(こさめときどきふる)

昨日は衆議院選挙という国の一大イベント。
そして、手術入院していた夫が退院という我が家の一大イベント(?)の日だった。

私が入院開けだったら、まず間違いなく一人で乗り換えのある電車に乗って帰ってくるのは大変だし、一週間ぶりとはいえ急に外を歩くと疲れるから…と、自分想定で布団を敷き、1時間ほどかけて電車で迎えに行ったが、有り難いことに夫はすこぶる元気で、帰りは食材を買って帰りたいとスーパーに寄り、入院時にほとんど固形物を食べられなかった分あれこれと山のように買い物をし、帰宅後はウキウキと犬の散歩に出かけていった。

十二指腸の手術だったため、退院後は食事制限が多い。
病院から渡された紙を見ると、何を作ればいいんだろう?というぐらい制限が多くて、そもそも自炊しない一人暮らしの人とか、退院後も体調が悪くて自炊できない人はどうするんだ?と思っていたが、どうやらそういう人たちは希望すれば何かしらのサポートが得られるようだ。

ここ数日騒がしかった衆議院選挙にからむ政治の話になると、政治でできていないことばかりがニュースになるけれど、一人世帯のお年寄りが頼れるような支援は気がつけばあちこちに増えてきているし、貧困家庭への就学援助は私がシングルマザーの頃に比較するとかなり充実した、少し視点を変えれば、政治家や官僚が何にもしていないわけでもないと改めてわかる。
でも、こういうことはニュースにならない。
新たな制度ができれば、それではまだ足りない…という話や反論は大きく取り上げられるけれど。
何もかも全員が満足いくようにはできていないだけで、そもそも全員が満足というのはありえないだろう。
「FACTFULNESS10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」ではないが、世界はどんどん悪くなっているわけではない‥という視点も重要だ。

食事制限の話に戻ると、消化の良いものを食べて、アルコール、刺激物は禁止というものらしい。
繊維質禁止のため、我が家で標準で食べている全粒粉系(パン、パスタ、うどん)や玄米が駄目なのと、繊維質も駄目なのが普段の献立から考えると面倒ではあるが、繊維質以外については乳幼児が食べるようなものなら大丈夫なようだ。

お互い仕事がそれなりに忙しいので、晩御飯は鍋、昼食はそれぞれが勝手に作って食べ、朝ご飯は前日の鍋の残りで雑炊かうどん(全粒粉ではないもの)を入れて食べましょう‥ということにした。

昨日は、手羽元と野菜の鍋にしたので、今朝は残りにうどんを入れて朝食にした。
洗い物も少ないし、面倒も少なくてラクではあるが、飽きがこないかどうかだな…。

約一週間の入院の夫の入院中に確定申告の準備やその他事務関連の仕事を片付ける予定だったのだが、これがまぁ全然できなかった。
夫の入院中は仕事をだいぶ制限しており、夫の不在で確実に増える家事は犬の散歩(1日約3時間)でその他は、それほどはっきりと負荷がかかるものはなかったはずだが、なぜ?と夫と話し、前回の入院よりなぜこんなに家事に手が掛かるのか?というのを洗い出してみた。

結論としては今の家に暮らすようになって、家事が少しずつ広範囲にわたって増えていたということになった。

・買い物できる場所が少し遠くなった(往復で15分ぐらい余計に時間がかかるようになった)
・家の前がゴミ置き場だったのが、ゴミステーションまで少し歩くようになった(往復5分ぐらい増)
・家の敷地の外がゴミ置き場だったので、ゴミ置き場の当番が道路の掃除をしてくれていたが、今は門の外の掃除も必要。しかも家の前の学校から松ぼっくりやら松の葉やらやたらに落ちてくるので掃除回数が増えた
・以前は家の外に駐車場を借りていたので、駐車場の掃除はなし、今の家はそもそも駐車用のコンクリートスペースがあり、ここに落ち葉が溜まるので掃除必須(車がなくなり、掃除だけが増えた…)
・2階建てになって、動線が悪くなりさらに階段の掃除が増えた(しかも階段にゆとりがあり直線じゃない…)
・家が広くなったので単純に掃除範囲が増えた、さらに以前の家は全部フローリングだったのが、畳が混在するようになった
・庭が広くなり、さらに庭に人を通すことが多くなったので庭仕事が増えた。しかも以前の家では大家さんが植木屋さんを入れてくれていたのが今回はなし
・家に人の出入りが多くなり、モノが増え掃除の際にモノを動かす回数が増えた
・海に一段と近くなり洗濯物は乾きにくくなった上に、新しい家では浴室乾燥がなくなり、洗濯物にまつわる負荷がやや増えた。そして浴室乾燥がなくなると風呂場の掃除も頻度が上がる
・以前の家ではほとんど雨戸を閉めることがなかったが、安全性や騒音の問題で今は雨戸必須。そして雨戸の枚数が家全体で18枚、これの開け閉めが毎朝・毎晩(築50年超えですから、もちろん全部手動)

一つ一つは些細で数分ぐらいずつ作業時間が増えているのだけれど、これが全部重なるとなかなか大変。
普段は2人でやっているからあまり気にならなかったけれど、改めて洗い出すと、大して働いていないのになんか忙しい‥というのはここに理由があったのね…とよくわかった。

ただ、時間がない‥と言ってても、しょうがないので並行して、病院関係はできるだけ薬を眺めにもらって行く頻度を減らしてもらったり、先日都内に通っていた発酵の学校も終わったので、都内に行く頻度を大幅に減らすこともできたし、紙の新聞は定期購読をやめて、読めそうな日はコンビニに買いに行くことにしたり、食洗機も文句を言いつつ使い始めたり(ガラス製品は本当にきれいになるのが嬉しい)、税理士の先生と契約したり、自分でもできるけれど外注できるものは外注したりとして、どこかのタイミングでペースが落ち着つくことになるはずだ…と思いたいが、どうにも自信がない。

モノの断捨離よりも、タスクとやりたいことの断捨離が多分私には必要なんだろう。

昼からずっと取引先とChatでやり取り。
これZoomでやったほうが早いと思い朝イチで提案したが、何かしらやりたくない事情があるようで、少なくとも現時点で既に2時間かかっていて、先方の工数どんどん増えていくんだが…。
まぁ私はChatに間が開くたびに、洗濯物畳んだり他の仕事したりしているから、時間を無駄にしている感じはそう少ないけれど、この取引先、プロジェクトのコスト管理どうなっているんだろう?とやり取りするたびに首をかしげる。

結局、丸々4時間かかって終了。
このプロジェクトは問題が多すぎで一連の問題とその経緯と問題点及び解決策を文書で出させたけれど、これまたチャットのコピペでなかなかのお粗末っぷり。
まぁ想定通りの文書だった。

昼食も作る暇がなかったので、夫が昼食を作って仕事部屋まで持ってきてくれて、さらに私が当番だったのだけれど、夕飯も作ってくれる申し出があって助かった。

これ、私が一人だったら、Chatのやり取り終了後、夕方に暗くなってから犬の散歩に行く羽目になり、帰ってきたら犬のご飯をあげて、もう疲れ切って、一人で深酒しちゃうか、そのまま寝ちゃうかでどっちにしても私自身はまともな食事しないパターンだっただろうな。
有り難いことである。

前回の日記に端から順に積読本を読んでいく話(決意?)を書いた。

逗子日記:二〇二四年十月 霜始降 (しもはじめてふる)

が、図書館から借りている「釜ケ崎と福音――神は貧しく小さくされた者と共に」が終わらず、まだこちらを読んでいる。
地位の高い神父が、社会的弱者の中に入った経験から、キリスト教を捉え直していくノンフィクション。
この体験をもとにこれまでの聖書の解釈を改めて見直していく部分など、なるほどと思う部分が多い。
神は否定しないが、特定の宗教に帰依するわけでもない私のようなものにもわかりやすく、クリスチャンとはそもそも何か?と考えさせられる本だ。

で、これを読んでいるうちに、図書館から次の予約本がやってきて積読本片付けは、一時中断となってしまった。
いつものことではあるのだが…。

次の本は、「マリリン・トールド・ミー」
主人公の女の子は上京して春から都内の大学生となった。
期待していた明るい学園生活はコロナのために訪れず、狭いアパートで、家族と離れた寂しさからスマホにどっぷりハマり、オンラインで大学の授業を受ける毎日。
そんなときにマリリン・モンローから電話が掛かってきて…。
この著者独特の軽いテンポが気持ちよく、するすると読めるが、今回はこれまでの作品よりちょっとテーマに重みがあるようでこの先を読むのが楽しみ。

図書館の本は返却期限があるので、自宅にある本より優先して読むことになり、それまで読んでいた本が脇に避けられるため、そのまま積読本となることが多く、ここに積読本が溜まる理由があることには以前から気づいていた。

となると、積読本を読了するには図書館で本を借りるのを止めるのが一番良いのだけれど、これがうまくいかない。

現在読んでいる「釜ケ崎と福音――神は貧しく小さくされた者と共に」はそもそも図書館で借りて読んでいた「長い読書」という本の中で紹介されていて、ちょっと読んでみたいな…と思って図書館のデータベースに検索をかけたら出てきたので、そのまま予約をかけた。
(ちなみに「長い読書」は図書館の本を読了したあとに、手元に置いておきたくなって結局新刊を買っている)

若い頃は、本の中で紹介されて読みたくなった本も片っ端からAmazonで買っていたが、お金も置く場所も問題が出てくるし、買ってみたら期待と違ったということもあり、そういうことがないように図書館でひとまず予約をして読んでから、購入を検討する‥というのが現在だ。

本は本を連れてくる。
読んでいる本の中に読みたい本のタイトルが出てくる、そしてそこからまた新たな本を読み、その本のなかにまた読みたい本のタイトルが…

全部読み終わってから予約をかければ良いのかもしれないけれど、欲望が強すぎてその場ですぐに予約をかけてしまう。
図書館だから無料だから…というのも一因だろう。

かくして私は、自身の本棚に読みたい本をたくさん抱えつつ、今日も図書館から借りてきた本を読んでいる。

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数年前の今日、我が家にくるみ(ミニチュア・シュナウザー)がやってきた。
こうして写真を見ると顔つきが子どもだ。

当初は新しく犬を飼うなら保護犬を…と検討していたけれど、基本的に家にずっといて犬の世話ができる人と暮らしていないと保護犬を引き取るのはできず、ハードルがあまりに高かった。

くるみはブリーダーさんで売れ残りのまま半年経ってしまい、このままだと繁殖犬にさせられるであろう運命をもった子犬だった。

だからこそ、我が家に迎えた。
多分、あのときブリーダーにいた他の犬たちのようにまだまだ小さくいかにも子犬で、誰もが可愛くて引き取りたくなるような犬だったら、可愛いね‥で終わってどの犬も買わずに帰ったと思う。

このコ絶対、買い手つかないわ…と感じたからこそ我が家にきてもらった。

ブリーダーさんでは一切お散歩に出ないまま、生後半年を迎えたので最初のお散歩は全く歩かずびくびくしてばかりだったけれど、今ではお散歩も大好きに。

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御縁があったというのだろう、この縁には本当に感謝している。

昨年同時期

逗子日記:二〇二三年十月 霎時施(こさめときどきふる)

昨日、廉売所で久しぶりにルッコラを見かけて買ったけれど、昨年の日記を読むと同じ時期にルッコラを買っているということは、ルッコラってこの時期出回るものなのかな?
ハーブ類はどうもいつが旬の時期なのか、まだ頭に入っていない。
廉売所に出てくると、それまで暮らしていた都内との比較で圧倒的に安くて新鮮だからついつい買っているけれど、それが季節とつながっていない。

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