そんな日もあるでしょう。

私は、友人・知人から愚痴が少ないとよく言われます。
単に、言い出すと止まらないのと、私の愚痴はつまらない、と言う事を自覚をしているので、言わないように気をつけているだけです。
愚痴に面白い、つまらないも無いと思うかもしれませんが、聞いていると結構あるんです。

聞いていて楽しい愚痴は、こぼしているうちに段々すっきりしてくる人の愚痴。
それから、言っているうちにドンドン腹が立ってきて、なんだか最後はふざけるなー!…と本人が思いっきりいえるような愚痴。
そういうのは聞いていても面白い(って言ったら、怒られるけど)。
少なくとも私の場合、こういう愚痴を聞いたときは、決して愚痴ばかりこぼされてつまらなかった何てことはないのです。

さて、自分の愚痴に話を戻すと、どういうわけか私は困難な状況というのには、仕事でも人間関係でもそうだけど、なぜかあんまり落ち込まない。
やるだけやって駄目ならしょうがないというの諦念があるからだと思います。

わたしが気分的に落ち込むのは結構すごくささやかなことが多くて、他人から見てささやかなだけではなくて、自分で見ても非常にささやかだと理解しています。
たまたまあるタイミングでそういうことに出逢ってしまって、ずどんと沈み込むことた多々あります。

話すと愚痴の理由が馬鹿みたいなので余計落ち込むし、話すほどのことでもないし、まぁ本当つまらない話なのであんまり言わないだけ。

それから一つのことを悩むのがあまり得意じゃありません。
すぐに頭が疲れてきてしまうのです。

結論の出ないこと、単なる落ち込み何ていうのは考えているとすぐ嫌になってきてしまい、嫌な事があるとどういうわけか私は眠くなってしまうのです。
そうするともうあっという間にすぐにベッドに入り眠ってしまう。
土日の昼寝も多い。
お布団に入るとあっという間に眠ってしまう。
江國香織の小説にすぐにお風呂に逃げ込むヒロインの話がありましたが、それに近い感じですね。お布団はいつも私も避難所なのです。
しばらくぐっすり眠って起きると、何となく満足する。(もともとすごくささやかなことだから)

何が言いたいのかというと、外からはまあタフに見える人でも、そんなにタフじゃない場面というのが当然あるのであって、自分が他人に比べてタフじゃないと思えて情けなく思うこともあるかもしれないけれど、決して自分だけじゃないはずというのが、ここで述べたかったことなのです。
愚痴を言わないからタフか…って言われたら、多分私だって全然タフな人間ではないのです。

だから、時にはタフじゃない自分を許してあげましょうね。

追伸:2005年に書いた文章です。この後、かなり重たい不眠症になって眠って解決するのはできなくなりました。2014年にほぼほぼ完治しました。
その間どうやって落ち込みを解決していたのかは、今になると思い出せないのですが…。多分、愚痴になるようなことをあまりしないように気をつけていたのではないかなぁ…と思います。

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