お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方2015 知的人生設計のすすめ

もしも、あなたがサラリーマン生活に満足しているのなら、この本は読むべきではないと思う。あなたの満足度は、この本を読むことで間違いなく低下してしまう。

もしも、あなたがサラリーマン生活を継続することに対して何かしらの疑問を持っているのなら、一度この本は手にとって見るべき本だと思う。この本を読むことで、あなたは何を考えるべきなのか…という新たな視点を得ることができる。

私が今回読んだ「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方2015 知的人生設計のすすめ」は、2002年に書かれた同書の改訂版で、2002年版は30万分を超えるベストセラーだったそうだ。当時、書店の平積みを見かけたが、なんとなく表紙の絵が苦手なのと、パラパラ手にとったら、数字の話が多くて面倒くさいな…と思って購入しなかった記憶がある。
あの時、この本を読んでいたら、私の人生は随分と変わっていたと思う。

さて、タイトルにもなっている黄金の羽根とは何か?

<著者による黄金の羽根の定義>

【黄金の羽根】Golden-Feather
制度の歪みから構造的に発生する”幸運”。手に入れた者に大きな利益をもたらす。

制度の歪みを知っているのと知らないのとでは、時間的、経済的に大きな差がつく。その歪みをこの本ではわかりやすく丁寧に説明してくれる。

まぁまずもっとも痛烈にわかるのは、サラリーマンというのは非常に金持ちになり難いということだ。
一番大きな理由は、税・社会保険料コストが大きいこと。
年収1000万のサラリーマンだと、実質税負担は250万円にもなる。
中でも社会保険料のコストがすごい。
正社員になるメリットの1つに、勤務先が半分保険と年金を負担してくれるというのを挙げる人が多いが、あれは本来であれば、給料としてもらえるものを社会保険料として会社から徴収されてしまっているだけだと考えるのが私も正しいと思う。
そこに選択の余地はないのだ。

そう、サラリーマンの問題は常に選択の余地がないことだ。
給料は自分で決められないし、徴収される金額も決められない、その上、上司もお客さんも選べない。
まぁ工夫しなくても食べていける…ととらえれば、それはそれで幸せではあるが…。

この本では資産運用の話や家計のリストラの話もあれこれ出てくるが、資産運用に関して言えば元金がなければほとんどお金を産み出さないわけだし、家計のリストラをいくらやっても、片側で税金をじゃぶじゃぶ取られるとどうにもならない。
この本の結論からいうと、一番効果が大きいのはいかに税・社会保険料をいかに下げるか…である。
そのためには今の制度には色んな歪みがあるので、それを知ることで黄金の羽根を拾うことができるのだ。

但し、サラリーマンをしているとこれがほとんどできない…というのがこの本を読むとよくわかってしまう。
だから、冒頭に書いたようにサラリーマン生活に満足している人は、この本は読まないほうがいいだろう…と私は思うのだ。

私がこの本をもっと早目に読んでいたらなぁと思ったのは不動産の購入について、資産と考えて買ったわけではないが、この本を読んでいたら買うときにかなり色々と考えて、特にタイミングについて考えたと思う。
ま、もう買っちゃったし気に入っているから良いかな…と納得はしているが…。それでもね。

じゃぁ、サラリーマンじゃないなら、何が良いのか?ということで、著者が勧めているのは自分で小さな法人を作ること、ここでは「マイクロ法人」と呼んでいる。
私も数年前から、まさにこの形態で仕事をしているが、一度これをやると工夫次第でこんなに色んなことができるのか…とびっくりする。
ポイントは課税所得を減らすことが可能となり、その結果社会保険料を最小化できること。
もちろん、様々な支出が経費化できることもすごく大きい。

こういう働き方をすると、社員になるなら相当な金額をもらわないととても割りに合わないというのがよくわかる。

で、ここからさらにすごいのが融資支援制度。
立ち上げた会社が潰れないように、国や地方ではものすごくたくさんの融資制度がある。納税者から見ると私たちの税金使ってそんなことしているの?うわーって思うようなものが結構あるし、ものすごい低金利なのはもちろん、担保・保証人なしというのも結構あるのだ。
このあたりまで読んでしまうと、なんじゃそれ?じゃ、ちょっと法人作っちゃおうかな…と考えだすことになること請け合いである。

この話の後にある「税金について知りたいほんとうのこと」の章では、税務署の裏事情の話が読み物としてとても面白かったし、知らないことが多かった。
本当にこの世の中にはどう考えてもおかしい制度の歪みがたくさんあるらしい。

私がフリーランス(個人事業主)という働き方を選んだ大きな理由は2つある。

1. 定年に関係ない仕事をしたかった。


2. 収入の入り口を一箇所に固めたくなかった。

私の祖父は司法書士で80歳過ぎまでその仕事をしており、祖母は90歳近くまで自宅で染め物教室をしていたのをずっと見ていた。
私の父母は子ども嫌いではないのだが、基本的に子どもことより自分のことに関心が高い人達で、子どもの躾とか見守りとかあまりない家庭で育ってきた。そのため、一心に愛情を注いでくれた身近な大人というと、親よりも祖父母という育ちなので、祖父母の影響をかなり色濃く受けている。
そのため、仕事というのは死ぬまでするものである…という意識で育ってきたし、そのことに対して「辛い」イメージがないのである。二人とも自分の仕事をとても好きだったのを見てきたからだと思う。

(2)の収入の入り口を一箇所に固めるのが嫌だというのは、ビジネスのなかで取引先が潰れていくのを見ている中で、大きな原因の1つに受注先が少なすぎて、そこからの発注が減るとあっという間に会社が傾く、もしくは傾くのがわかるので無理難題を押し付けられても飲まざるえない。見ていて、ああ、これがまずいんだな…と気づいたからだ。
翻ってみて、自分がサラリーマンになって会社勤めをしているのも、まったく同じ状況で一社しか取引先がないのと同じ状況だ…と思ったので、収入を分散しようと思った。
分散してあれば、上司に誰の為にもならない無茶なことや、やる意義が全く見いだせない意味不明なことを言われても、クビを覚悟で反論できるし、「こんな馬鹿ばっかりの会社、辞めます!」といつでも言えるからである。

その他の理由としては、この本で橘氏が以下にあげている「企業特殊技能」を学ばされるのが嫌だったからというのもある。だって、そんなの全然ポータブルスキルじゃないし、大体の場合はその技能は生産性と全く関係ないことばかりな上に、ロジカルでも合理的でもないのだ。
でもこれを学ばないと日本の会社では長生きできない、それが嫌なら独立するしかないので、独立した…というある種消極的な理由がある。

日本の会社は新卒で社員を雇い、移動や転勤でさまざまな仕事を体験させます。「ゼネラリストを養成する」などといいますが、実際はその会社でしか通用しない「企業特殊技能」を学ばせるためです。日本の会社では、部品の細かな使用から稟議書の書式まであらゆることが「暗黙知」で決まっています。
サラリーマンは、その会社でしか通用しない知識や技能を苦労して習得したのですから、景気が悪いからといって簡単にクビになったり給料をカットされてはたまりません。会社としても、悪い評判が立つと優秀な人材が集まらないので、年齢に応じた昇給と終身雇用を約束して社員を安心させようとします。
日本的雇用慣行では、会社安定した身分と引き換えに若い正社員に低賃金労働を要求します。日本のサラリーマンは会社に退職金という「人質」を取られているようなもので、定年まできっちり働かないと正当な報酬を全額受け取れないのです。

色んな意味で著者の考えていることと、自分が普段思っていることはかなり近いと思う。
自分がいつまでマイクロ法人を続けるか…というのは、あまり真剣に考えているわけではないが、お金の問題だけでなく、性格的な問題もあり(詳しくは、以前書いた「箱のはなし」をご参照ください)、多分この形態は結構長く続くのじゃないかと思うのだ。

2014年で娘の学費も終わり、生活基盤を見なおしたら、随分シンプルで小さな生活でも楽しめることがわかってきた。
そもそも嫌な仕事をしないで済めば、ストレスがたまらないからお金の使い方も随分と変わってくることが実感できた。自分へのご褒美など必要ないのだ。
小さな生活になれば、尚更お金のために嫌な仕事をしなくて済むので、今はちょっとした好循環にいる。

私の日々の暮らしのモットーは、「愛ある生活、豊かな生活、静かな生活」であるが、2014年は自分にとっての「豊かな生活」ってなんぞや?というのが、朧気ながら見えてきた気がする1年だった。

このようにして日本人は、働くことは苦役であり、大過なく勤め上げれば定年後に「悠々自適」という極楽が待っている、というきわめて特殊な人生観を持つようになりました。最初は希望に燃えていても、40代で先が見えてしまえば、あとはひたすら会社という監獄で耐えるほかないのです。
しかしこれは、大学卒業から定年まで、会社人生が40年と区切られているからこそ、かろうじて成立する人生設計です。80歳まで働く世の中になれば、60年間、人生の4分3が「苦役に」になってしまいます。ほとんどのひとは、こんな人生に耐えることはできないでしょう。
そう考えれば、超高齢化社会の人生設計は「自分の好きな仕事をする」ことしかありません。
「なにを当たり前のことを」と思われるでしょうが、これ以外に60年という長い職業人生を乗り切れる戦略はありません。「楽しく長く働ける世の中にしよう」というきれいごとではなく、私たちは、「好き」を仕事にする以外に生き延びる術がない、そんな「残酷な世界」に連れ去られてしまったのです。

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    2007.07.03

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