私の社会人経験は、派遣社員で始まりました。
社会人スタートは20歳。社会人経験なし。専門学校卒。子供あり(0歳)。夫なし。
それでも時代が良かったのか(1991年でした)、学生時代にアルバイトでやったキーパンチャーが一応実務経験としてとってもらえて、派遣社員になることができました。
秘書からスタートした私の派遣社員生活では、主に以下のような仕事をしてきました。
・役員秘書
・営業アシスタント
・OA事務
・データ入力
・DTPオペレーター
・インストラクター
・ヘルプデスクエンジニア
・コールセンターエンジニア
・インフラエンジニア
仕事は、英文タイプが出来たことと秘書の資格を一応もっていたということから、船会社の秘書としてスタート。
なんでまた、派遣社員でスタートしたのかといえば、当時娘の入っていた共同保育所には月5万程度の保育料を払っていて、親子二人で住んでいたアパートの家賃は7万5千円。
残業できなくても、手取り20万もらえて、しかも子持ち社会人未経験で採用してくれるといえば、恐らく派遣スタッフぐらい・・・という消去法で選んだ仕事でした。
(蛇足ですが養育費とかお金は別れた夫から一切もらいませんでした。生来せっかちな性格なため別れるなら早いほうが良いと思っており、さらにはなにせ20歳ですから世の中が厳しいなんて全然知らず、何とかなるさ‥ぐらいでした。まぁ、当時バブルでしたからみんな楽観的だったんです、私だけでなく世の中も)
消去法で選んだとはいえ、職種も職場も契約毎に変えることができる派遣スタッフという仕事はよくよく私の飽きっぽい性格に合っていたみたいで、本当に好きな仕事でした。
できれば一生派遣社員やりたいと今でも思っているぐらいです。
・・・・といっても、やはり雇用形態が正社員に比較すると不安定なことは確かです。
しばらくして仕事に慣れてくると、子供を抱えての生活を支えるにはやはりそれ相応のスキルを身に付けていつでも仕事のある状態しておかないと・・・と考えました。
まぁずっとある仕事…と言っても、この当時は派遣社員としてある程度の時給が稼げて希少性のある仕事という意味で、正社員になることは全く考えていませんでした。
ずっとある仕事というのは、当時の派遣の場合、英語、経理もしくはコンピュータだと早々に気づいたのですが、じゃぁどれを身につけるのかというのが問題でした。
経理の仕事は見ていると残業が多そうです。
英語は専門学校時代にやって好きでもないし、語学に少しも向いていないことが良く分かりました。
じゃぁ、コンピュータなら・・・、幸いまだやっている人も少ないようです。
と、これまた消去法でコンピュータへ。
————-ここからやや古いPCの細かい話があるので、面倒な人は飛ばして読んでくださいね——
とはいえ、当時はまだMS-DOSの世界。
まったくユーザフレンドリーでないコンピュータばかり。
NECPC98の出始めでもありました。
・・・が、どうにもコマンドばかりで取っ付きが悪い。
ある日見かけた雑誌に出ていたMacintoshに目を奪われ、当時まだ半同棲中であった二番目の夫に、婚約しても良いから(当時は一度目の結婚で懲り懲り中で、結婚は嫌だと言い張っていた・・・)婚約指輪の代わりとしてMacintosh買ってくれ・・・・とおねだりして、買ってもらいました。PowerBookと呼ばれるノートPCで今でも家に婚約指輪なので置いてあります。(実用には耐えられない・・・)
周囲にはMacは趣味のPCだと言われましたが、気にせず我が道を行ってしまいました。
ワープロじゃないので、当然そのまま使えるわけでもなく、本を読みながらあちこち触ってもどうも今ひとつ。
ある日派遣会社のトレーニングのチラシを見ると、ワープロソフト(MacWriteⅡ)、Execl、PageMaker、MacDraw、MacPaintの全部がセットになったコースというのがあって、このトータルの受講料が20万ぐらい。
今度は夫に(多分その頃もまだ夫じゃなかったけど・・・)自動車教習所に行くと思って家計から出して良いか・・とおねだりして出させてもらった記憶があります。
講習はマンツーマンでした。
使用機種は確かClassicか何かで画面は白黒。
あのディスプレィ一体型のマシンでDTPまで勉強したなんて今では信じられません。
幸いトレーナーの方にも恵まれ、(というか、そんな高い受講料を払う人はほとんどいなくて、人数がとても少なかったというのもあります)
自宅のPCに関することまできっちり教えていただき、講習後半にはちょうどMac人気が盛り上がり、オフィスにMacを入れる企業が増えてきました。できる人が少ないこともあり、仕事はたくさんあるし時給は高いし・・・とMacのできる人には良いこと尽くめの時代がやってきました。
———–ここからPCの細かい話はなくなります。————————————-
本人もそうなる気はなかったのですが、このあたりで人手不足からなぜかMacのインストラクターにもなり、時給2500円~3000円という当時では破格の時給をいただいたりもしました。
ここまでが派遣スタッフ時代の前半で、この後ベンチャー企業の社員となります。そうしてその後また派遣へ戻りここから、後半時代となります。後半についてはまた次回に・・・・。
追記:この記事は2003/08/16に最初に書いて、それから2007/4/15に加筆修正を行い、さらに2016年2月に加筆修正を行った記事です。
2016年に某女性誌のミリオネーゼ特集みたいなものインタビューを受けた際に、自分の年収ヒストリーみたいなものを作ったので、改めて自分のキャリアを振り返る機会となりました。そのついでに見なおして公開することにしました。
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