さて、ベンチャーの正社員を辞めることは決めました。
次は、某外資系IT企業の教育担当という仕事に転職予定だったのですが…。
日本でのトレーニングをこれから立ち上げるということで、…という予定で、話が進んでいましたが、話が二転三転。
しばらくU.S.本社で研修を受けてくれだの、大阪の立ち上げやってくれだの、どんどん話がずれていくので、結局辞退することにしました。(まだ、子供も小さかったしね)
そんなこんなで振り出しに戻り、しばらく古巣(派遣)でぼーっとしようと某大手通信キャリアで営業のアシスタント等をしていました。
この当時は全くそんなことを考えていませんでしたが、この時の派遣先で一緒にお仕事した方たちは、みなさんその後順調に昇進され、フリーとなった今色々なお仕事を紹介してくださります。
最近思うのですが、結局一緒に仕事をしたことがある‥というのが後々一番大きな仕事の人脈になるような気がします。
一緒に仕事をしたことで、「こいつはどんな手を使っても仕事をやり遂げるだろう」とか、「文句は多いが、その分手も抜かない」とか、そういうことがわかりあえることで、信用して仕事をお願いすることができるのです。
さて、話を戻します。
ま、そんな風に天職であろう派遣社員で楽しくやっていたところ、派遣会社でエンジニア特待生制度というのが始まりました。
選抜制で、選抜試験に受かると研修費(定価100万相当)は全部派遣会社持ち、研修中も日当が出る上に研修終了後は、1年間就業保証あり。
最初の6ヶ月は派遣先に関係なく時給1800円、残りの6ヶ月は2300円。その間にベンダー試験に合格すれば全ての受験料は還付されるという派遣社員にとっては破格の待遇でした。
(当時のベンダー試験の試験料は1科目¥15,000前後、決して安くないのです)
また、当時の事務系派遣の時給は高くて1700円程度だったと記憶しています。ちなみに今は英語などの特別なスキルがないと、1700円の事務派遣仕事を探すのは結構厳しいと思いますので、それを考えても派遣社員にとってはかなりのスキルアップのチャンスです。
待遇の良さも魅力でしたが、以前の職場でエンジニアを育成するトレーニングの企画や営業を担当しているのに、そのトレーニング内容そのものが全くわからず、歯がゆい思いをしていたところにまさに降ってきたようなこのプログラムに私が飛びついたのは当然の流れでした。
今、考えてもこの制度はとても私に適していました。
もともとこの制度は、既存の派遣スタッフをエンジニアにスキルアップさせるためのものではなくて、既にエンジニアの人を派遣に取り組むというようなとこを目指していました。
しかし、いくら待遇が良いと言っても、正社員待遇に比較すると安定性に欠けるため、筆記試験と面接を受けに結構な人数が参加していましたが、実際に選考に通り、トレーニング参加することを決めたのは私の参加した期では5名でした。
とりあえず、この1年はがーっと勉強しようとLotusNotesの資格を取り、MCSEとOracleMasterのSilverを取得。
派遣先での仕事は、コールセンターの二次対応に始まり、ExchangeServerの御守、Notesの管理者、NetwareからNTの移行作業等多岐に渡りました。
エンジニアごっこは楽しかったけれど、やっぱり以前の会社で本当のエンジニアっていうのを見ちゃっているせいか、私がこの仕事続けてもそこそこのところまでしか伸びないだろうな・・・と考えていた矢先に知人から仕事を手伝ってくれないかというオファーがありました。
最後の派遣先で非常に可愛がられて、その派遣先のサポートエンジニアを私が職場に戻ってから立ち上げを担当するなら、派遣元会社にサポート契約をくれるということで、しばらく派遣元会社のサポートセンターに残っていたのですが、契約段階で派遣先企業の本国から承認がなかなか降りず調整ということになり、私はやることないままそのサポートセンターでぼーっとしていました(約1ヶ月・・・・しょうがないので、Exchange ServerのMCP試験を受けたりしてました・・・。)。
途中で辞めると、研修費を返還しなくてはならないのですが、もう仕事も無いし次の会社からは研修費の返還を会社で負担するから、仕事が無いなら移ってきて欲しいという話になり、派遣会社に相談したところ、私のそれまで引き受けていた仕事は時給が高かったため、十分ペイしたので研修費の返還は必要無いとのことで、一ヶ月早く円満に契約終了とさせていただきました。
今振り返ると、私と同期が次々と結婚だ、妊娠だ、派遣は嫌だ…と脱落していった中、文句も特になく、粛々と資格取得に励み、そもそも派遣仕事が好きなので、お客様からの評判も良かった…というのも研修費の変換を求められなかった理由の1つではないかと思います。
自分もこの数年後、派遣会社の人材開発部門に勤務することになるのでよくわかるのですが、本当に待遇も良かったし、今考えると普通なら通らないリクエストにも柔軟に対応してくれたと思います。(最後の契約切り上げも含めて)
よく勉強したし、よく働いた一年でした。
年収としては、前職よりも100万以上下がっていたと思いますが、ここで学んだことは後々に大きな財産となりました。目先のお金よりも学べる環境が大事だとつくづく思います。
お金は取り戻せますが、時間は取戻せませんから。
今になって考えてもこの一年は自分の仕事生活の中で、何をどう勉強すれば稼げるのか・・・と真剣に考え時期でもあり、初めて自分のキャリアマネジメントについて考えるようになりました。
さて楽しい派遣生活も終了し、今度は正社員として、外資系ネットワーク・インテグレータの立ち上げに関わることになりました。
※この文章は2003/09/23に書いたものに加筆修正を行ったものです。
※この文章はさらに2016/03/14に加筆・削除・修正を行いました。
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