「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展」

2017年前半はとても慌ただしくて、展覧会に行かないまま5月になってしまった。

今年最初に観た展覧会が渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムの「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展」だ。

絵画の展覧会は、込められたものが多すぎるのかどうも観るのに体力がいる気が最近している。
終わって美術館を後にするとぐったりしてしまう。特に一人の画家を扱った展覧会だと尚更だ。

頭の中にそんな重たい印象があるので、しばらく間があくと観に行く気になれないのかもしれない。
以前、どこかにも書いたがこのところ洋画、とくにヨーロッパの印象派のような日本人からみて洋画らしい洋画が苦手になりつつある。
一方で、クローズアップされるのはこの手のものがほとんどなので、余計に展覧会に足を運びたいと食指が動かなかったのだろう

そんな最近の自分の気持ちにとてもあっていたのがこのSaul Leiterの写真展。

前半はファッション誌のために撮ったのであろう、美しいがよく見かけるようなポーズの写真が並ぶ。
そして、その後少し少女を正面から撮った写真や、社会的メッセージが込められたような「靴磨きの靴」のような写真があり、そこから後が本領発揮と思われる様々なメッセージが込められていないであろう写真がたくさん並ぶ。

それらは日常の風景を少し切り取ったものなのだ。
絶景の写真もなければ、社会的メッセージもない。

それはおそらく彼の暮らしたニューヨークでの小さなスケッチのような写真ばかりだ。
人が散歩しているところや、警官の写真とか、そういったもの。モノクロで静かで被写体となった人々はおそらく撮られたことに気づきもしなかっただろうと思われる。

【肝心なのは何を手に入れるかじゃなくて 何を捨てるかだ】

【神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。なにも世界の裏側まで行く必要はない】

モノクロの写真が続いたところで、少しずつ色の入った写真があらわれる。
本当に少しの色がこれほど、世界を変えて見せるのか…と思う瞬間だ。

絵のような「郵便配達」、赤い傘が鮮烈な印象を与える静かな「足跡」。
雨というフィルターがかかると世の中はこんなに美しく見えるのか…と、雨の日が待ち遠しくなる作品も多い。

【写真を見る人への写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時折提示することだ】

彼の写真を観ていて感じたのは、写真というのは被写体の次の表情を想像させるものなんだということ。
この後きっと彼女は泣き出すだろうとか、この後彼はきっと何もごともなかったような、さも退屈しているような欠伸をするのではないだろうか‥とか。
写真を観ながらそんなイメージがどんどん思い浮かんできた。

絵を観ていて、次の表情が思い浮かぶことは私にはない。
モナリザはいつまでたってもあの表情しか浮かばない。
絵画は私にとっては完全に静止していて、完全で完璧な空間なのだ。
でも写真は違うんだな。
途中の一瞬なんだな‥と思った。

後半に展示された彼の描いた抽象的な絵はまったく感じる部分がなかったのは少し残念。(彼は画家でもあったのだ)

最後にヌードの写真が続くが、ここにはメッセージというよりも、女性が隙だらけの姿勢や表情のところを撮るのが好きなのかなーと、思われる作品が続く。
目に力のある女性が多いのはこれまた彼の好みなのかな…。

会場の壁にはあちこちに、Saul Leiterの言葉だと思われるものが描かれていて、(このエントリに書いてある引用がそれ)これがまた、すごく共感するもの…というより、最近自分がよく思っていることに近くて、そういう意味でも印象深かった。

彼の作品はまだまだ現像されていないものがたくさんあるらしく、これからも新しい(?)作品が観られる機会がありそうだ。

渋谷での展示は、2017年6月25日までだそうだ。
ひょっとしたらまた行っちゃいそうだなぁというぐらい、グッときた。
こういうのは私にとっては本当珍しいわ。

【幸せの秘訣は何も起こらないことだ】

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