何年か前から正月三ヶ日はネット接続をオフにするというのを実践しています。
多分、スマホを使う前からだから、もう結構経ちますね。
以前は完全にオフにしていたのですが、近年は心配して電話くれる友人などもいるので、メールやメッセンジャーといった個人的に連絡の入るものはチェックするようにしています。
今年は大晦日に、このブログに2018年の本のまとめ記事を書いたあと、オフに入りました。
最近の言葉で言うと、デジタルデトックスということになるのでしょうが、Kindleは書籍ということでネットに繋げないとは言え、使っていたので厳密にはデジタルデトックスにはならないのかもしれません。
今年は例年にも増してこのネットOFF生活がきつく感じられました。
バスの時刻を調べる、お正月にお店が何時からやっているか調べる、気温がどのぐらい低いのか調べる…こういうことについついネット接続して調べたくなるのです。
ちょっとした調べ物にいかにネットを使っているか‥というのがよくわかりました。
例年の月三ヶ日は呑んでいるケースが多いのですが、今年は犬がいるので、散歩が1日たっぷり2時間必要。
こうなると、じゃぁお休みだしちょっと遠くまで‥ということで、隅田川周辺散策とか七福神巡り‥というようなことで、そのあたりのお散歩ルートも調べたい‥と、いつもより調べたいものが多かったのでよりきつかったのかもしれません。
まぁ、こういう一連の調べ物は元々手元にネット環境がなければ、予め調べておいたのでしょう。
常に調べられるということは、事前の準備の負荷を大幅に減らすということが身にしみてわかりました。
さらに今年大きく困ったのは、レシピが全部Evernoteに入れてあったり、細かいToDoや細かいスケジュールが全部PCとクラウドにあることでした。
とにかくネット上に情報を置いておくというのは、手元にその情報を置いていないし、見ればわかることなので、記憶しようという努力もしていないのだなぁ‥と痛感。
このあたりが何とも心もとない感じでした。
これ以外にも時間の使い方を記録しているToggleなんかも今回は全部お休み。
以前にブログにも書いたスマホアプリ「最後はいつ」なんかは記録を止めるのに逡巡したものです。
瞑想アプリも微妙にネットにつながっているし、時間があるときにネットに繋がず、レポートを書こうと思えばクラウド上のアウトライン・プロセッサーであることを思い出し、さらに原稿はDropBoxに入っている‥ということで、まぁどれだけ自分の生活がネットに助けられているかというのを身にしみてわかった三ヶ日でした。
その一方でもともとテレビもない生活ですから、SNSやネットのニュースを遮断すると本当に静かな三ヶ日で溜まっていた重ための本をずいぶんと読み進めることができました。
思いついたタスクは全部フランクリンプランナーへ書き留めるということで、時間に追われずに手書きでゆっくりと字を書くというのは気持ちが落ち着くものだなぁ‥と。
三ヶ日が終わり、PCを開くとあっという間に焦燥感がやってきました。まるでパンドラの箱のようです。
休みの間に仕事をしないでも問題ないように計画もしていましたし、その間特にトラブルが起きていたわけでもありません。でも、開けた途端になんだかすごく忙しいモードになりました。
あとからあとから、頭の中に自分の足りないものばかりが見えてくるかんじでしょうか。
急に時間が足りないモードになり、どこからもかけられていないはずのプレッシャーや先への心配が感じられ、それが集中力と妨げ、満足感から遠ざける感じというのでしょうか。
やれやれ、こうなるとネットOFFというのは良かったのか、悪かったのか、自分でも何とも言えません。
そろそろ50歳も間近になってきた2019年は「泰然自若」となることを目標にしようかと思います。
パンドラの箱も最後に残るのは、「希望」だったはずだし…。
楽観的に2019年を過ごせるようにしていきたいものです。
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