外部にSOSを求めるということ

先日、最寄り駅で山谷の寄付集めを見かけました。

東京近郊にお住まいでない方に説明すると、山谷(さんや)とは東京の東側にある日雇い労働者の集まる簡易宿泊所街であり、現在は高齢化した元日雇い労働者が多く、生活保護受給者も飛び抜けて多いと言われているエリアです。
「あしたのジョー」の舞台になったドヤ街と言われて、思い出す方もいらっしゃるかもしれません。

多分、炊き出しの時期が始まる前などに寄付集めを行っているのかな?と思います。
他の寄付集めと少し違うのは、寄付金を入れる箱などがなく、ごく普通に家庭で使うようなバケツであること、よく陽に焼けた中高年の男性たちが集めていることなどでしょう。
パッと見て、すぐに山谷の寄付集めの時期なんだなぁ‥と思い出しました。

私は彼らの寄付集めを見かけると、毎回小銭入れに入っているその時持っている小銭をすべて入れることにしています。
金額はささやかですが、金額よりも大事なのは周囲の人が「ああ、寄付する人がいるんだな‥。じゃぁ、自分も少しぐらい入れてみようかな‥」と思われることなんじゃないかな‥と思うのです。

山谷の現状を訴えるビラをいただき、ふと思ったのが、よく困窮した人に対して、もっと外にSOSを出すように!というようなメッセージを見かけをネットなどで見かけますが、いったい誰にSOSを出せばいいのだろう??‥ということです。

一般的に、「友人とはお金の貸し借りをしない」というのは、海外ではどうなのかわかりませんが、日本ではかなり浸透しているし、半ば常識になりつつある気がします。
そういった空気の中で、もし、友人に「お金を貸して‥」と言われたら、この人は自分を友人だと思っていない‥、と捉えてしまいそうです。

多分、一番SOSを出しやすいのは家族だと思いますが、昨今では家族も自分のことで精一杯という家庭が多いような気がします。
残念ですが、大人になると子供の頃は、仲の良かった兄弟姉妹でも仲が悪くなる例をたくさん見てきました。
きっかけで多いなと思うのは、兄弟姉妹同士の話し合いに配偶者が絡んできて、気がつくと距離が空いてしまった‥というようなものです。
こうなると、SOSを出せる相手というのは、親・配偶者・子供‥とさらに減ってきます。
そして、今は一生独身という生活ができるように社会が整ってきました。
そうなるとSOSを出せる相手というのは、現実的には行政やNPOのような存在だけなのかもしれません。

ところが、こういった存在を調べ、活用するにはある程度生活にゆとりがないと難しいというのがあります。
この辺りの話は、以前に記事を書いた「いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学」の本が詳しいです。

いつも「時間がない」あなたに 欠乏の行動経済学

というようなことを、ツラツラと考え、今回の寄付集めのように外にSOSを求めるってすごく勇気のいることなんだろうな‥と思うのです。

私はすべての寄付集めに欠かさず寄付をするというタイプではありませんが、寄付を集める行動をとった人に「勇気を出して、やってみてよかった」と思ってほしいなぁと感じます。

そのせいか、山谷への寄付とBIG ISSUEの販売人の方にお会いすると、雑誌を購入はちょっと習慣化しているようです。

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