日本における臨床心理学の第一人者である河合隼雄先生の本をよく読むのは、カウンセリングとコーチングの底辺に横たわるものは同じものがあると感じるから。
市販されているコーチングのHow to本というのは、ほとんどコーチングの事例とエッセンスの紹介で終わっており、深みがなく、その分、「あ、こんなものなのか、じゃ、オレも明日からコーチングというのを部下にやってみよう!」と楽観的に思い、すぐに実践してみることができる・・・・。
で、ちょっとうまくいってみたり(素人がやってもこういうことは十分に起こりうる、カウンセリングも河合先生の本によればそういうものらしい)、コーチングのスクールに本格的に通ってしたりしてみて、コーチが生まれる。
そして、クライアント本当に真摯に対面した時に、コーチングの強さと怖さと、奥の深さに驚かされる。
そうして、その時に、心底からいったい、こういう時、コーチングではどうすればいいんだ? どう考えるべきなのか? と悩んだ時に、あなたに少しでもヒントを与えてくれるコーチングの本というのは、残念ながら少なくとも現時点では全く市販されていない。
そんなときにコーチングより長い歴史を持つカウンセリングの本、中でも河合隼雄先生の本は多くのヒントを与えてくれる。
前置きが長くなったけれど、今回読んだ「カウンセリングを語る(上巻)」は、カウンセリング研修講座における講演をまとめたものなので、とても読みやすいが奥が深い本である。
上巻は、前半はカウンセリング初心者向き、後半はさてカウンセリングをやってみてもっと考えることべきことはたくさんあるのではないか? という話になっている。
カウンセリングは植物を育てるのに似ているというがコーチングも同様だ。
動物には、「しつけ」を行うことはできるが、植物には、そんなことはできないし、長い間生長するのを待つ必要がある。
太陽と、水と、肥料が十分な量行きわたって、植物は順調に生育する。
私たちにできるのは、そのバランスを見たり、場合によっては足りないものを足りないものを追加できることであって、あとはじっくりと待つことである。
植物を早く育てたいからと芽を引っ張るひとはいない。
そして同じように肥料を与えすぎてもいけない。
立て続けにセッションを持てば良くなるかというとそんなことはないのだ。
これを河合先生は「こやしを根元から離れたところにまけ」と仰っている。
カウンセリングもコーチングも治療ではない。
その子に対して「自由にして保護された空間」を与えて、その子が自分で治ってくるのを待つんですが、そのときに、その子のつらさをわれわれがどれだけわかることができるか。これはやっぱり相当経験がないと、また単なる経験ではだめで、よほどの訓練を受けてないと、わからないと思います。
他人への理解を深めるためにたくさんの本、物語、とくに児童文学を読みなさいというのもよくわかる。
私もクライアントによく、この本を読んでみてはどうか? と本を貸したり、推薦することがよくある
クライアントが今抱えているものに、きっと大きなヒントがあるだろう…と思うときに、私がその本の話をするよりも、その本を読んでみたほうがすーっとクライアントの中に入ることが多いのだ。
自分が安定した立場でないと受容するとか共感するとかいうのは、難しいし、双方にとって危険ですらあるというのもよくわかる。
だから、どこかに出てきて、「ちょっとコーチングしてください」なんていうのは、とても引き受けられない。
周囲のことが気になった時点で相手の話を傾聴することは格段に難しくなる。
そうして、こちら側に引受の用意ができていないというのは一瞬でクライアントに伝わってしまうのだ。
クライアントの中には、問題や目標設定の大きさに関係なく、自分にとって非常に難しいクライアントが現れることがある。
そんなとき、先生はこうおっしゃっている。
この中に、学校の先生がおられましたら、自分のクラスの中に必ずあなた方が限界に挑戦して、前より少しよい先生になるために送りこまれてきた生徒がいることに気づかれるはずです。ところがだいたいはそうは思わなくて、なんでああいう問題児が私のクラスにいるのかと思って、いやになってそれを排除してしまうことが多いわけですが、じつはそうではなくて、その問題児と言われている子どもと格闘することによって、われわれが成長していくわけです。
ここで取り上げたの本当にこの本の中のごく一部。
本当にたくさんの「気づき」が得られて、付箋だらけとなっている。
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