風みどり何を着ませうか誕生日
京都 白川亮さんの俳句/日経新聞朝刊 2020年6月13日掲載
6月半ばの新聞に掲載されていたものだが、7月上旬にこの新聞を読んだ。
この俳句の解説によると、俳句を作られた(俳句は書くじゃなくて、作るであっているかな?)白川さんは誕生日に97歳になられたそうだ。
ひと目見て、なんて爽やかできれいな俳句だろうと。
97歳でも美しいものに対する感性とか、季節や洋服を身につけるということの喜びの感覚って持っていられるのか‥とちょっとうれしくなった。
身体の動きが鈍くなってくるのと、感性は別なのだ。きっと.
6月半ばの掲載ということだから、もう少し前に投稿されたものなのかな。
なんとなく白川さんのお誕生日は5月だったのではないかと想像する。
俳句があると目に止めるようになったのは、第1回の読書会に参加された方が、自己紹介に最近興味を持っているモノやコトの話を含めてほしいとお願いしたところ、お一人の方が俳句に興味が出てきた‥とおっしゃっていてからだ。
Web関連の仕事をしている人には、よく知られている話しだけど、今のWebユーザーほとんど文章を読まないと言われている。
これには140文字のTwitterに慣れすぎているとか、動画が氾濫しているからとか、そもそも本を読まないからとか、集中力が低下しているから色んな理由があげられている。
面白いなと思った理由では、そもそも今の若い人たちはコミュニケーションにLINEののようなテキストメッセージを使うことがほとんどなので、活字を読む量が私達の若い頃よりずっと多いから、もう活字を読む容量がいっぱいなのだ‥ということを言う方もいる。
ということで、Webの世界で今やもてはやされているのは、コピーライターのような能力が高い人というのもよく言われたし、文章量もさることながら、一文を短くするというのも重要だと言われている。
そういう仕事に関係している私にとって、改めて「俳句」を眺めてみると、そこには一切の余分な言葉はなく、そして説明がない。
でも、読めばパッとその光景や空気が浮かぶ‥凄い!凄すぎる!
となり、今では新聞に出ている俳句を結構コマ目に読んでいて、時にはスクラップしたりしている。
今まで興味を引かれなかったこと、視野に入ってこなかったこと、適性がないと思っていたことを、どのぐらい挑めたり楽しめたりするかが、人生の後半戦に私が目指したいことかもしれないなぁと最近感じることが多い。
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