一ヶ月ぶりぐらいに富山の叔父から電話が掛かってきた。
この冬の富山は、久しぶりに雪が多かったというので少し心配していたのだけれど、忙しさに取り紛れて連絡していなかったことを思い出す。
叔父は亡くなった父の一番下の弟で、母と同じ70代の半ば。
私のいとこにあたる娘と息子も近くにいるが、時どきこんな風に姪の私にも近況確認みたいな電話をくれる。
夫は「仲良いよね、yoshikooと叔父ちゃん」と言う。
言われてみれば、そうかもしれない。相変わらず私は、叔父さんではなく、小さい頃同じように叔父ちゃんと呼ぶ。
なんとなく、呼び方を変えると叔父ちゃんが寂しく思うような気がするのだ。
最近の競輪の話やコロナの話などをしているなかで、コロナで外出もままならないので、テレビをよく見ているけれど、出てくる人たちが40代とかが多いから、さっぱり誰だかわからず、あまり面白くない・・という。
50代となった私たちだって、テレビを持っていないから全然わからないよ・・という話を返して、「最近の若い人たちはテレビもたないっちゃね」と半ば呆れたような声の返事がきて、電話は切れた。
叔父の世代でテレビがつまらないってことは、誰がテレビのメインの視聴者なんだろう?
これだけSNSだ、Netflixで動画だ、はてはClubhouseだと、可処分時間の使い方は山ほどあるから10代、20代の若い世代はそれほどテレビを視ている時間は少なそうだし、30代は公私ともに忙しそうな人が多い。
でもなー・・・・
テレビを持っていない私が言うのはなんだけれど、テレビって面白すぎないほうがいいんじゃないかな‥と思うのだ
我が家でも時どき2人で晩食後に、PCでAmazon Prime Videoを観たりする。
テレビと違ってコンテンツは自分で選べるのはいいのだが、コンテンツが選べるというのも選択肢が多くて決断力を使うのでそれなりに疲れる上に、観たい作品を観るというのは、案外エネルギーがいる。
だから疲れているときは無理。
そもそも私は根っから活字派で、映画や動画を観て理解するのがすごく疲れるタイプなので、かなり調子が良くないとまず観ることはない。
エグゼクティブのコーチングをしていると、自宅でテレビを観るという人は結構多い。
偉い人は、熱心にビジネス書や教養本でも読んでいるかというとそんなことはないようだ。ONとOFFがハッキリしていないと、大きな仕事はできないということかもしれない。
確か、UNIQLOの柳井さんもよくテレビを観るというようなことが、楠木健さんの本に書いてあった気がする。
仕事で集中力を使い果たしたときに、リラックスのために受け身で視られるのが丁度いいというような話だったと思う。
視るというより「眺める」ぐらいがニュアンスとしては正しいのかもしれない。
テレビというのは、家族で視るのによくよく適しているものなのかもしれない。
「この人、雰囲気変わったねー」とか、「このCMしつこいね」とか、「この人、昔は面白かったのにね‥」とか、好き勝手なことをつぶやきながら視るのがいいのかも‥と、夫と話す。
テレビは面白くない程度がちょうどいい、面白すぎると話しかけられたら、「ちょっと黙ってて」となってしまう‥という結論にこの日は至った。
テレビは一人で視るものじゃないのかもしれない。
せっかく一人で視るなら、もっと集中力のいるもののほうが楽しめそうだ。
テレビが安価になって、家族それぞれがテレビを自分の部屋に持ったりできるようになり、リビングで集まってテレビを視るというのがなくなったのが、今のテレビ界の終わりの始まりだったのかな。
一家に一台しか売りませんと業界がタッグを組んでいたら、ちょっと違ったか?などと妄想する。
テレビ持っていなけれど、テレビにはそのぐらいゆるいままでいてほしいなぁ‥と昭和な私は思うのだ。
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