夫の会社がコロナをきっかけにリモートワーク推奨となり、一緒にいる時間が格段に増えた。
そう天候が悪くなく且つ私のタスクに余裕がある日は、朝の犬の散歩に1時間ほど付き合う。
帰宅して朝ごはんを一緒に食べて、豆を挽いてコーヒーを淹れて一緒にコーヒーを飲んでから、私は仕事部屋にこもり、夫はリビングでそのまま仕事をしている。
一緒にお昼ごはんを食べて、それからまた仕事部屋とリビングにわかれ、私に時間が気力と体力があればまた一緒に午後の犬の散歩に出かける。
晩ごはんももちろん一緒で、20時半になると私は寝室に引き上げ、夫はその後しばらくしてからやってくる‥。
(ちなみに夫は料理+犬の世話担当で、私は掃除+洗濯+家計を含めた全体マネジメント担当)
リモートワークの影響だけでなく、住居が逗子に引っ込んだこともあるし、コロナ禍もあって家族以外と外食をすることもほとんどなくなったのも一緒にいる時間が増えた大きな理由だ。
引っ越して家が幾分広くなったとはいえ、仲良くなければとてもこれだけの時間を一緒に過ごせないと思う。
一緒に過ごしていても苦にならないのは、夫がそうたくさん喋る人ではなくて、且つテレビがなくても耐えられる人だからなんだろう。(スマホという大親友が彼にはいる)
テレビがついている環境に身を置くのは、極稀になら問題ないが日常的だと私にはかなり苦痛だ。
他の夫婦との比較はしようがないが、2人の時間は楽しいし仲は良いほうだろうと思う。
それでも、時にどうしても私には1人で過ごす時間が必要になる。
コロナの前までは、都内に暮らし仕事での外出や会食も双方多かったし、そのついでに美術館やバーなどに1人で出掛けていたが、今はそういったことはほとんどなくなった。
逗子で1人の時間が欲しいときは、お気に入りの本を抱え、てくてくと歩いて、線路を越えて横断歩道を渡り、階段をのぼって扉をあける。
扉の先は、珈琲の焙煎と豆の販売もしている小さな喫茶店。
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ここには一人で訪れることに決めている。
お店が小さいのとコロナの影響で滞在時間は1時間とのルールがあるので、お客様は1人の方が多く、そのため大体の場合店内は静かで落ち着いている
窓からは線路と踏切が見えて、時々、踏切の音がカンカンなり、電車を走る音が気持ちよく感じる。
小さめのボリュームで、激しくも熱くもないジャズがBGMとしてかけられている。
自宅で飲むコーヒー豆も最近はこのお店で購入している。
自宅で購入しているのと同じ豆の珈琲と自家製のケーキをいただく。
お店で淹れてもらったコーヒーは、自宅で淹れたものと味が微妙に違っていて、どうやったらこういう味にあるのだろう?と毎回考え込む。
それでも最初に比べると、随分近いところまできたのでは?とひっそりとした笑みを浮かべて美味しく飲む。
私とそう年齢が変わらない感じの男性と若い女性が2人でお店は切り回されているようだ。
一番最初にうかがった時に、この女性の方の声、言葉使い、話すスピード、そして間のようなものが本当にきれいで、実は珈琲とケーキの魅力よりもそちらに惹きつけられてしまった。
この日は吉田篤弘氏の「月とコーヒー」を持参。
装丁も中の短編もあまりに、このお店に合い過ぎていて、なんだか気恥ずかしくなってしまい、あまり集中できなかった。
夫は1人の時間が全然いらない人なので、家で同じコーヒー豆を買っているのに外でわざわざ高いの飲むなんて信じられない…、本だって家で読めるでしょう…となるので、ここでゆっくりしていることは話していない。
私は車は動けばなんでもいいでしょう‥と思っているが、夫にしてみれば大違いなのと同じようなことだろう。
夫婦だからといっても全部理解しあわなくていいと思うし、そもそも全部理解するなんてムリだろう。
私は自分の機嫌を良くする責任があるし、そのためには必要な過ごし方があるというだけのことだ。
そして、一緒にいるのに1番大事なことは、理解よりも2人が機嫌よく過ごせることだと思うのだ。
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