大人になってから、なんでもない住宅街を歩くのが好きになった。
家や庭はもちろん、道端の草花、閉めてしまった商店の古い看板、植木鉢、干してある洗濯物、玄関先の子どもの自転車など、細かい雑多なものを見るのが好き。
途中に猫がのんびりしているところに遭遇できたりするとニンマリしてしまう。
長いこと江東区の大島や砂町で暮らしていたけれど、転居して同じく江東区の亀戸に暮らしてみると知らない細い脇道が山ほどあって、犬と「探検」と称しては脇道に入っては歩いていた。
どこに入ってもスカイツリーが見えるのと、必ず川にぶつかるので、家に帰れなくなったことはないけれど、随分遠くまで歩いてしまったことは何度かある。
好きなものを見るだけでなく、どうしてこんな隠れた場所に薬屋さん?クリーニング屋さん?とか、このあまり聞かない名字の表札は、中学の同級生の実家では?とか、そういえば床屋さんだって言っていたな‥とか、自宅のドアに「社長室」というプレートがかかっている家とか、結構いろんな発見があって、面白かった。
逗子に引っ越してからは、知らないところばかりなのでなおさら面白い。
特に自宅の近所は、ものすごい敷地の広い家や、注文建築のお宅が多く、植物を育てるのが好きな方も多いようで、眺め甲斐がある。
好きなおうちは、ゴージャスな家でもそうでない家でも手入れされたお庭や植木鉢があって、人を威圧するような塀がなく、洗濯物が干してあって、人がその家で暮らしている生活感があって、家と暮らしが大切にされてることが伝わってくるようなおうちだ。
徒歩圏内にある披露山邸宅街などは、美術館のような家が立ち並んでいるのだが、生活感がなくて面白味と風情に欠ける‥などと、貧乏人の僻み…と言われそうなことを感じている。
ご近所を気持ちよく歩いていると、時どき、ここはどこだろう?ということになりがちで、スマートフォンがないと家に帰れなくなってしまう。
この道をまっすぐ行けば‥と思って歩いていると、道そのものが曲がっていることが多いようで油断ならない。
目印になる高い建物がない暮らしってこういうことなんだなと思う。
どこに住んでいても、近所には毎日何かしら発見がある。
こんな私は、発見と刺激が多すぎる旅が苦手。
自分のホームから、ほんの少し先まで行く程度の冒険でお腹いっぱいになってしまい、旅行はどうも胃もたれしてしまう体質なのだと思う。
(旅に出る必要など、ないのではないか)
天の声がそう云いました。
(特急列車に乗って三時間のところにある街と、すぐそこの三駅のところにある隣町とのあいだに、さて、どれほどの違いがあるというのか―――「月とコーヒー」P279
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