以前からチェックしていた新潮社の主催する新潮講座。
出版社ならではの「本作り」にまつわる講座内容が面白そうだなぁと惹かれていた。
昨年度は大学が忙しかったり、コロナでなかなか講座そのものが開催されなかったり、さらには自身の引っ越しもあって、なかなかご縁がなかった。
今年はご縁ができたようで、今月は、オンラインで「入門ドストエフスキー ~21世紀に長編小説を読む意味~」に参加。(この話は機会があればまたじっくりと書いてみたい)
そして第2弾として今回は神楽坂の教室で、「新潮社の組版講座〈Vol.3〉新潮社の美しい組版とその歴史」を受講してきた。
自身の覚書として、以下にその話を書いていきたい。
(あらかじめ書いておくと、この記事を読んでも「組版」について有益な情報や学びは一つもないので、ご注意ください)
まずは会場を確認。
移動の都合で大江戸線の牛込神楽坂駅から歩くことにした。このあたりの住宅は落ちついていて、且つあまり気取っていなくていい感じだ。
東京に暮らすなら神楽坂はいいなぁと思うが、お値段が素晴らしすぎるので、単なる妄想。
会場確認のために歩きながら地図を見たら、あれ?この会場ひょっとして・・・・?
案の定、ノンノン(一人娘、今や1児の母)が店長を務めていた店と同じビルの3階にあった。
場所の確認が終わったので、お向かいのかもめブックスさんへ。新刊本ばかりをおくのではなく、こだわりの選書をメインとする書店は近年随分と増えてきているが、ここはその中でも先駆けだったのではないだろうか。
店内を見回すと、その昔、家族3人で愛読していてボロボロになった早川文庫の「料理人」を発見。転居の際にノンノンが持って行ったか、はたまたあまりにボロボロで処分したのか記憶が定かではないが、少なくとも私の手元にないことは確か。
以前にも読み返したいな‥と思って、調べたところ電子書籍になっておらず、そのままになっていた。
この小説を読んでいるときの、あの背筋があわあわする感じをもう一度味わいたい。もちろん、即お買い上げ。
雑貨類も小洒落ているし、他の本も興味津々だったけれど、グッと我慢して立ち去る。お店にいると危険なので、併設しているカフェにもよらず。
その後はしばらく久しぶりに訪れた神楽坂の街をウロウロ。
平日というだけでなく、おそらくコロナの影響で人通りが少ない。こんなにガランとした神楽坂は初めて。
飲食店はまだ補助金が出ているからともかく、飲食店を求めてやってきた人たちが、街に来なくなるとちょっとした雑貨屋さんなどはかなり苦しいだろう。
コロナの予防接種が行きわたったら、もとに戻るんだろうか?
などと考えながらウロウロしているうちに、時間になって教室へ。
講師の方は、もともと新潮社で編集などを経られて、後半は写真集などを組版されていたとのこと。
2019年に定年退職されたが、現在はデジタル編集支援室長というのをされており、新潮社で内製化して組版するものを作業されたり、相談役をされたりしているそうだ。
出版社の社内で組版を内製化してもコストが下がるわけはないが、社内であることから様々な相談がしやすい環境となり、調整も効きやすく本づくりのコミュニケーションは下がるし、編集者も組版についての視点を持つことができるようになるという利点があるようだ。
この講義で初めて知ったが、印刷会社に組版をお願いすると手間はかからないがその校了された最終型のデータというのは、印刷会社のものとなるとのこと。
これにより印刷会社が「版面権」というのを持つため、その後に本を電子書籍にする際に色々と問題が起きてくることになる。
コスト削減にはつながりにくいが、これからの時代は電子書籍の流れを無視するというのは難しいこともあり、この課題に対照するために社内で組版を内製化するための部署というのができたという経緯もあるらしい。
さて、今更だけれど、そもそも「組版」って何よ?というと、
組版(くみはん)とは、原稿及びレイアウト(デザイン)の指定に従って,文字・図版・写真などを配置する作業の総称[1]。印刷の一工程としては、文字や図版などの要素を配置し、紙面を構成すること。
私も大学でデザインを学ぶまで、本の「装丁」については関心はあっても、「組版」なんて、全く意識したことがなかった。
しかし、授業で文字組みなどの作業やレイアウトをやってみると、本当に奥が深いし、フォントはもちろん配置や余白などで驚くほど、そのテキスト(文章全体)の持つイメージが変わってきて、かなりのめり込んだ。
来年大学に戻ると小冊子を組版するという課題が待っているので、今日の講義は、その参考にもなった。
今回の講座では、組版の実際の作業については、InDesignでのやり方を少し教わったが、そちらの実践的な内容よりも、これまで新潮社で出してきた様々な本の組版の例や、昔のベストセラー作家と新潮社の関係などのここでなければ聞けない業界秘話が面白かった。
講義で取り上げられた本のうち、「川端康成全集」、小林秀雄の書いた「本居宣長」についての本は、祖父が持っていた記憶がある。実際に読んだのか不明だが、たしかに美しい本で書棚に並べたくなる本だ。
気がつけば化粧箱に貼っている本も、布張りの全集も、ほとんど見なくなった。手書きの挿絵の入った文庫本すらも随分と見かけていない気がする。そもそも町中の本屋が減り、本はネットで買うもの、そして電子版で読むもとなれば美しい装丁に惹かれて本を買うこともなくなるし、ましてや電子版に組版はほとんど関係しない。
流し込まれたテキストを自分の読みやすいフォントと文字サイズで読むものだ。
出版社ごとの組版のルールも異なっていて面白い。特に文庫や新書のようなものはフォーマットとルールがはっきりしていて、角川文庫と新潮文庫では、会話のカギカッコのときに何字下げるかの違いなどがある。
どちらが正しいというものでもない。
講師の方は、こんなに本当に細かいことでこだわり過ぎでもあるのですが‥と何度かおっしゃっていた。このあたりに出版社での組版という仕事の位置づけが見え隠れする。やっぱり花形の仕事というのは編集者なのかもしれない。
大学での組版の講師を務める方たちは、プロのデザイナーの方々だ。先生方の話を聞いていると彼らは組版や文字のデザインにものすごく誇りを持っているのを感じる。全般にプロのデザイナーにとって、本作りに関わるとかブックデザインをするというのは、ペイが安くても携わりたいという人が多いように聞いていて思う。
ところ変わるとやっている仕事が同じでも随分と見られ方や捉え方が違うということなのかもしれない。
一番印象に残ったのは、竹久夢二の大正時代の本についてのお話。
「こんなに美しい本を普通に作っていたのが大正時代なんです」という言葉は、最近よく考えていることに大きなヒントをもらったことがする。まだうまくまとまっていないけれど、最近、気負いのない美というもの、日常の美ということについて、自分の中の好奇心とか関心とかが向かっている。
短い時間だったけけれど、帰り道は自宅まで2時間近くかかったけれど、私にとってはとても充実した時間だった。
このところ、本づくり関わることが多くて(といっても、主に企画とか全体の構成をどうするか‥ということでデザインとは関係ないが)、プロダクトとしての紙の書籍というものに興味が高まっている。
ということで、この後は同じく新潮講座で校閲講座も申し込み済み。こちらも楽しみだ。
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