第17回のサードプレイスを2022年5月21日(土)にオンラインで開催しました。
今回は新規2名の方に参加いただき、全部で7名の参加者となりました。
Contents
課題本と著者について
課題本:「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」
著者 川内 有緒
著者のサイト
自己紹介
自己紹介では、通常の自己紹介の他に以下のようなことを各自にお話していただきました。
・サードプレイスの中で呼ばれたいお名前のご紹介*
・「今回の課題本をどのぐらい読みましたか?」**
・「美術館は好きですか?印象に残っている美術館に関する体験を教えて下さい」
*サードプレイスでは、好きな名前を名乗っていただくことになっています。
**読了されていない方がも楽しめるような進行を‥という目的で、うかがっている質問です。
今回の課題本については、全部読んだという方と全部は読めていないという方が半分ぐらいずつでした。
出席者の方の美術館のお話では、よく行き美術館でのボランティアもされるレベルの方から、誘われれば行く、教養のINPUTとして行くというレベルの方まで様々でした。
お気に入りの美術館として、名前が上がったのは、根津美術館、大原美術館、テート・ギャラリーなど。
読書会本編
自己紹介の後は、今回の本を読んでみて感じたことをそれぞれにご発言いただきました。
今回、すごく意見交換がが活発で、どれも取り上げたいのですが、網羅しきれない上に、文章としてまとめるのもとても難しいので、ざーっと以下にご紹介しています。
アートへの苦手意識とわからなさ
アートって嫌いじゃないけれど「わからない」「詳しくない」と思っていたけれど、この本を読んでそもそもアートを観るのに「苦手」なんてない。「わからない」ということを承認された気がする。
もっと自由に感じていいし、感じたことを口に出して良い。
そもそもアートを鑑賞したときにそれぞれの人によって見え方がちがっているという当たり前のこと、に気付かされた。
百聞は一見にしかず。美術に本来言葉はいらないのでは?
同じものを観ても、受け取り方はちがう。美術に限らず、自然でもなんでも、見る人違えば感じ方も表現もちがう。
ちがいは、個人のこれまでの体験や人間性があらわれてくる。自分の頭のなかで一つずつ整理しないと説明できない、
「わかる」「わからない」というのが、そもそも基準として違うのでは?という話は、現代アートも含めて何度も話が出てきました。
本の装丁や形式について
- 普段速読で飛ばし読みが多いけれど、今回は写真、絵の見ごたえがすごくてゆっくりじっくり読んだ。
- 本の章立てが時系列じゃないところを良いととるか、合わないととるかで評価割れそう
- 電子書籍は、文字だけを拡大することや、文字列のハイライト、検索、辞書の参照、引用などの機能が使用できない形式になっていて、読み難いとも言えるのですが、一方で掲載されている写真や絵が拡大できるので、細部も見ることができてありがたい‥という面も。
- 紙の書籍はすごくいい紙を使っていて、写真もきれいで、お金が掛かっている。
カバーの裏、風間サチコの《ディスリンピック2680》に圧倒された。
僕は幼少期から本は表紙カバーを外して読む習慣(癖)が抜けなくて、川内有緒さんの新刊「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」のカバーを外したら、裏に壮大な風間サチコの作品が描かれてた。凄いなあ。やっぱり本は電子じゃなくて、紙に限る pic.twitter.com/w050ANjj6S
— 三浦英之 新刊「フェンスとバリケード」 (@miura_hideyuki) September 9, 2021
読書会の中で取り上げられた美術作品について
マリーナ・アブラモヴィッチ
参考:衝撃的な身体パフォーマンス作家、マリーナ・アブラモビッチのアート作品
- パフォーマンスアーティストの身体を傷つける行為が展示の際に行われた話が怖かった。
- 言葉にできないけれど、それすらアートになるんだ‥、アートって範囲が広い。
- 人間て驚くほど残虐になれる
- こういった展覧会の安全性をどこまで追求するのかは難しい問題だな‥と個人的には思っています。あまりに安全性を配慮してしまうと、表現者が表現したいと思って言うこと自体おそらく変質してしまうから。
パフォーマンスアートではありませんが、日本でも暗闇を体験してもらうという展覧会でやはり安全性の問題が起こっていますね。
参考:「ブラックボックス展」痴漢事件、“暗闇”の中の真相は明らかになるのか 被害者連絡会が半年かけて訴訟に至った理由
ボルタンスキー ぼた山
現代アートは基本苦手、よくわからないという話が多かったですが、この作品についてはグッと来るものを感じるものがあったというご意見も多かったです。
マリーナ・アブラモヴィッチ 夢の家
棺桶に入って眠り、夢を観るという体験型アート。
これもアート?という話などから、アートって広い‥という話に
こちらに、予約サイトがありますので体験も可能。私はちょっと体験してみたいかも…。
http://www.tsumari-artfield.com/dreamhouse/
白鳥さんという人について
- くすっとこの世界でわらいたい・・という白鳥さんに、幸せになりたいより共感できた。
- この人は盲人が美術館鑑賞をするということで自身の立ち位置を作り上げ、そこから仕事がきているという、ご自身はどう思っているかわからないけれどある意味成功者だと思う。
- 白鳥さんが写真と撮ることについて、自身で買った「俺の写真はどこに向いているのかな?…俺にしか向いていない」という言葉にハッとさせられた。写真を撮るということの視点がひっくり返った。
- みんなで一緒に空間で体験する‥バーチャル美術館には興味なしというのがなんだか白鳥さんという人を表している感じ
- 白鳥さんは「今」という瞬間をすごく大切にしている、場の共有、その場の集中力など気付かされることが多かった。
あなたは白鳥さんのアテンドがしてみたいですか?
- 読書会の中で出席者の方から皆さんに聞いてみたい‥と投げかけられた質問。
- アテンドというより一緒に冒険に行くイメージで楽しそう一緒に時間や空間を共有してみたい
- 今までにない美術館体験ができそうというアテンドしてみたい
- アートを観ているというよりも、一緒にいる人を観察している気がする。観察されて何が自分が出てくるか、出てきたものを肯定してくれるなら感じてみたい
- 解説じゃなくて好き嫌いを勝手に話していいなら、アテンドも楽しそうだけれど、解説はムリ〜
- 同じものを同じように見られないのは辛い気がする
- 一人で観るのと誰かに説明するのだと観え方が変わってくるので、自分ひとりで感じるものを感じたい
参加者の方で、目の見える人、見えない人と役割をわけて、白鳥さんの疑似体験をするというオンラインのワークショップに参加されたという方もいて、大変興味深い話があれこれ聞けました。
実際に疑似体験されてみると、この本のようにはうまくいかなかった。
見えない人に絵を説明するようになるというのは、そうとう自分と相手との落としどころを見つけるのに苦労があり、時間もかかる印象。
その辺りの苦労話がこの本からはすっぽり落ちていて、きれいにまとまっている印象‥というお話には、みなさんなるほど〜という感じでZoom越しに頷かれていました。
その他にも東京国立近代美術館のオンライン対話鑑賞(無料イベント)に参加されたもいて、そちらでは1つの作品を6人ぐらいで見て、好きなことを言う形式で、最後にタイトルと作者が紹介されるそうです。
「何を言えばいいか?」「言葉選び」「言語化」などに意識がいってしまい、自分が感じるところに集中できない。数回参加してようやく自分の自由に感じることががでてきたというお話も、みなさん興味深そうに聞かれていました。
アートイベントはオンラインでも結構あるもののようですね。
読書会全体の感想
- 言語化の難しさがとてもよく理解できる本。その難しさを引き受けつつなされた言語化によって、コミュニケーションが成り立ち、様々なものが生じてくることが面白い
- 初めての参加。感じたことを素直に言葉にする大切さがわかった。1冊の本についての感想をみんなで語り合うことで本の味わいが何倍にも広がった
- 興味があっても読む機会がなく、読書会があったので読んでみた本。色んな分野にすごく思うことがあって読んで良かった。読書会で自分にない視点の話が沢山聞け、読み返したくなった。
- 切り取られてきれいにされている本という意見に思う部分あり。違和感を乗り越えるエネルギー、「白鳥さんのアテンドしたい?」という質問の発想力に感じ入るものがあった。
- オンラインに慣れていないので緊張。
オンラインのための言語化はいい脳トレかも。
こういった読書会で皆さんの自分の大事な1冊を聞いてみたい。この本を一緒に旅立ちたい。最後の晩餐的な本を聞いてみたい - 言語化をさぼっている。なんとかせねばと感じた。心地よさにとどまらず、一本前に出たい‥と刺激された。
次回について
次回の読書会は、夏休みをはさんで9月3日(土)です。
課題本は、「ふだんづかいの倫理学」。
こちらの本にご興味ある方、読書会サードプレイスにご興味ある方よろしければぜひ、おしゃべりにいらしてください。
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